秋の夕暮れ。石畳をかつこつと叩く音と、シルエットが踊るように喧噪を演出している。
賑やかだなぁと、僕は視線をあげ、そして気がついた。
あれ。ずいぶんと目線が低い。
あたりを見回し、再び視線をあげた瞬間には直前に感じたはずの違和が消えていた。
どこに行かなければならなかったのか、何故ここにいるのか。そしてどこへ向かおうとしているのか。
様々な疑問が浮かぶも、街のあちこちから打ち上げられる風船にくくりつけられては空を埋めていく。黒い猫が屋根の上でまぶたを閉じる。赤とオレンジの屋根で彩られた街の合間に覗く空は深く吸い込まれそうな暗い色をしていた。
秋の宵は乾いた風が吹く。
横を走り抜ける子供の、母親を呼んでいると思わしき声があっという間に過ぎていく。
帰って夕食なのだろうか。
宝飾店の前で男女が囁く声がする。
冷えた風は身に染みるのだろう、難色を示していた男は、女がもたれかかった際に頷きを返していた。
ちかちかと、視界の端をオレンジと黄色のイルミネーションがまたたく。
オレンジは郷愁を誘う色だ。
煤けたものを鮮やかに、憧憬というノイズをのせて再生する、レコードのような色。
蝋燭の火と、ラジオ。古い絵本にウイスキーボトルの飾られた暖炉。ぜんまい切れのオルゴール。
みな愛おしくて、わけもなく懐かしくて、どれほど辛く苦い、嫌なものであれど舌の奥にあまさを残す魔法をかけて、いやでも癒やしてくる。そんな色。
時間というものに色をつけろといわれたなら、僕はこの色を選ぶだろう。
間もなくハロウィンの夜を迎える街は、オレンジの明かりで溢れていた。
夜が深まるごとに賑わいは高まり、悪霊など寄せ付けてたまるかと煌々とした輝きを見せている。
鈍い錆びのついたトタンの向こうから聞こえる軋んだ声も、薄暗がりから伸びた手に引き込まれた子にも気がつかず、亡霊に連れ去られた子を必死で探す親も気に留めず。
まだ宵のはじめのほうだというのに明かりの就いていない部屋から漏れる人の気配にも、割れた硝子窓の向こうからじっとこちらを睨み付ける無数の目玉にも気がつかないまま、祭りを楽しむ人々の合間をすり抜けるようにして歩いて行く。
彼らは全て、遠い場所に居た。
互いの手が届かず、声を交わすこともない。
同じ世界の、同じ時間軸の、同じ空間にいながらにして、彼らはあまりにも遠かった。
あるいは、僕自身が亡霊なのだろうか。
「キャンディはいかがですか?」
いつのまにか、目の前に真っ白な髪をした子が立っていた。
しろ。白い髪は珍しい。瞳はどこか、あやうい印象を受ける色をしている。
「りんごを飴につけたキャンディですよ。りんごは嫌いですか?」
そういって飴を差し出してくる彼の持つ籠は、布で覆われている。
ハロウィンの夜に林檎か、と以前読んだ本を思い出しながら横に首を振る。
「お金、ないんだ」
どちらにせよ、僕はそれをもらうわけにはいかない。
「そうですか。残念です。おいしいのに」
「うん、おいしそうだね」
「はい。とってもおいしいですよ。体が楽になります」
そういって、彼は上から下まで僕の姿を見たあとに続ける。
「あなたはずいぶん、重たそうな服を着ていますから。尚のこと頭と体が分かれたら楽でしょう」
「僕は魔法なんて使えないよ」
「あなたは魔法が、魔術というものがどのようなものかわかっていてそれを口にするんですね」
「うん。使えないからね」
呆れた、と白い髪を揺らして彼は首を振る。
よっぽど魔法だとか神様だとかそういった雰囲気をもつ彼は、ようやく道を譲ってくれた。
「あなたは救世主でもないですよ」
「うん。僕はなんでもないよ」
彼を置いて先に歩み、ふと振り返ると真っ白な髪をした少年は跡形もなく消えてしまった。
石畳を行き交うシルエットの数はさらに増えていた。
酒場の前に差し掛かるとグラスや皿のぶつかる姦しい音と、怒号とやじ、歓声と嬌声が飛び交う。まるで遊園地の中にいるようだ。やはり赤茶けた明かりが窓から漏れていた。
「なあなあ。お菓子くれないか?」
今度は、背の低い男の子に話しかけられた。
丸い目はつやつやと、マーマレードのような蜜色をしていた。
「ごめんね。持ってないんだ」
「じゃあ、他のでもいい」
「うーん、お金もないんだ。あっちのほうで、飴を配ってる子がいたよ」
「んーん。お前はたくさんのものを持ってるから、お前からほしい」
その子の声はひどくすり切れていた。
鬱屈とした瞳の奥にはぎらついた生への欲求が揺れている。
「僕はなにも持ってないよ」
「お前はなんでも持ってる。お金も地位も、容姿も、学力も。他者からの好意も親もなにもかもを持ってる。ずるい。オレはなんにも持ってないのに」
「きみだって、たくさんのものを手にいれるよ。素敵なものだって最初からもってる」
「それ、本心から言ってないだろ」
「うん。なにも持ってないと、僕は本心では思ってない。でも、だからってきみが何も持っていないとも僕は思えない」
彼は黙る。
黒いフードを目深に被り、手をだらりとさげた彼の手は汚れていて、なにも持っていなかった。
「じゃあ、これあげる。食べないほうがいいと思うけど……でもこれしか持ってないから、あげるね」
包み紙で巻くタイプのチョコレートを渡し、すり切れた彼の手を自分の手で包む。
彼はチョコレートを見たあと、もう一度僕と視線を合わせる。
「これをオレに渡してさ、食べたらどうなると思ってる?」
「食べないほうがいいよ。でも食べちゃったら……そうだな、ごめんねって思うかな」
「……。お前ってさ、粘土で作ったみたいだな」
「あはは……。人間って土からできたらしいから、似たようなものだよ。きっと」
じゃあ、と彼から離れようとして、とんっと誰かがぶつかってきた。
同時に、鋭い痛みが深く、まっすぐに刃の軌道が読める痛みが走る。
「あんたは死んだほうがいい」
冬の夜が一足早くやってきたような子が、一言いった。
ああ、それは本当に。心の底から同意する。
街の喧騒がますます高まる。
歓声が聞こえる。
グラスとグラスがぶつかりあって、乾杯!となにかを祝う声がする。
どこかの国のお葬式はお祝いなんだったっけ。それなら僕が死ぬことだって、僕は祝ったっていいだろう。過ぎ去ってしまえばどんなことだってオレンジの魔法で懐かしく、輝かしく、素晴らしいものになるのなら、さっさと全てを過去にしてしまえばいい。
そこでぐらぐらと世界が揺れた。
強烈に脳が揺れた感覚に飛び起きる。
「ねえ。起きて。夕飯」
「わ、わぁ……ヴィーくん、おはよ」
どうやらうたた寝をしていたらしい。
傍らにはみみずがのたくったような線のノート。重要な書類が汚れていないことを確認して、一息つく。
「寝ちゃってたよー」
「うん。……変な夢でもみた?うなされてたから」
「え、そう?うーん……覚えてないや」
「そう」
ヴィーくんは腑に落ちないという顔を浮かべるも、それ以上は追求せずにいてくれた。
今日はハロウィン。かぼちゃを中心とした料理がテーブルの隅々を埋めていて、くもの巣に見立てた綿菓子や黒いビスケットで作ったこうもりがパスタの上に乗っていた。
「バートとシャルは今日これないって」
「そうなんだ。残念だね」
二人も今日を楽しみにしていただろうにと言うと、ヴィーくんがちょこちょこと歩いてきて手になにか渡してきた。
あめ玉だ。可愛らしい包装紙で包まれた、何の変哲もないキャンディ。
「飴あげる」
「わあ、ありがとう。ハロウィンだから?僕も……」
なにかあげないと、と言おうとして唇にやわらかいものが触れる。
「あんたを直接もらうからいい。なにも渡さないで」
に、と笑うとすぐ離れ、いつもの淡々とした調子で「じゃあごはんもってくる」とキッチンへ向かってしまう。こういうときは格好いいヴィーくんに、僕はというと落ち着かない心地で、どことなくギクシャクとした動きで椅子に座り直す。
外は暗く、この部屋は明るい。
暖炉に火は灯っておらず、林檎の焼ける香りはキッチンからシナモンとバターと共に漂う。
シルエットの人影もなく、部屋には僕とヴィーくんだけ。
ただの日常が足下から続いていた。
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ハッピーハロウィン2026!
擦り切れたシャルくんはちょいちょい書く機会があるんですが、擦り切れたバートくんはなかなか書かないので新鮮でした。
組織に行きつかなかったバートくんは、たぶん路地裏でスリする子供たちのリーダーやってるのかな~。
バートくんはいっつも愛情がほしくて構ってほしい分、いろんな人の愛を本人にその気がなくても集めるクリスくんのことが羨ましくなることもありそうだなと思いました。
クリヴィダちゃんはいっつもヴィーくんのが押せ押せなのが可愛くてついついこうなりがちですが、クリスくんもたまには限界迎えて、ヴィーくんがどきってすることもあるんだよな~~かわいいな!!?と脳内ではしてくれてるんです…ほんとに。
どうせノってこないと思って、調子づいたヴィーくんがはわはわするえちち話も書いてください私(遺言)