キセキレイはカッコウの巣に生まれ~トライフルサンデースペシャルサンデー~ 本編二話

 石畳を舞う木枯らしもすっかり粉雪へと変わり、ベンチに腰掛ける人々の代わりに雪だるまが鎮座するのも見慣れた頃。ペンキをぶちまけたような真っ赤な扉が開くと「わ」と家主の小さな声が上がる。彼が思っていたよりも雪が積もっていた。
「うーん」
 しばし考える。この雪を今すぐ横に避けたほうがいいのか、それとも同居人のヴィダを呼ぶべきか。
 彼とこの国へ逃げてきてしばらく。生活にも慣れ始め、追っ手と遭うこともなく今を過ごしてはいる。
 だが安全には安全を期すべきだと、ヴィダからは常々言い含められており、何か変わりがあればすぐに呼ぶようにとも伝えられている。
 これほど雪が積もっているのなら、彼を呼ぶべきだ。自分はヴィダよりも力が弱いのだし、何より不用意に外へ出るべきではない。
 しかし、と逡巡する。その鼻先にはキッチンから、ベーコンの焼けるよい香りが届いていた。ヴィダが朝食の支度をしているのだ。
 ほんの少し、玄関から歩いて五歩程度の距離であれば。それぐらいの距離であれば、雪かきをしても問題ないだろうか。ほんのちょっとだし。何より、雪かきというものを体験してみたいし。
 そんな好奇心に負ける為の言い訳を頭の中で並べながら、家主――クリスは玄関脇に立てかけてあるスコップを手に取り、ドア付近の雪を路肩へと押しやる。ぐ、と力を込め、見た目より重量のある雪を寄せていく。
「ふー、こんなもんかな」
 はじめてにしてはうまいこと出来たのではないだろうかと、満足げに額に浮いた汗を拭う。
 生まれてからこれまで、家事全般を使用人が全て行っていたクリスにとって雪かきはもちろん体験したことがないものだ。
 この街へやってきて、何度か降雪に見舞われたことがあったが、そんな日はヴィダが朝一番に除雪してしまう。
 クリスが起きてくる頃にはすっかり片付けられており、雪かきにチャレンジできる機会は今日に至るまで恵まれないままでいた。
 それがやっと今日訪れた。
 明け方にも降り続けていた雪はクリスが起きてくる時刻になってようやく降り止み、ヴィダが朝食を作ってる間にこうして外の様子を見に来た。
 とはいえ……今日はまだまだ降りそうだ、とクリスは空を見上げる。冬を過ごす人々のため息を飲み込んだ雲は分厚く、視界いっぱいに広がっていた。不満と不安と憂いを吸い上げた今にも滴り落ちそうなほど重たく見えるのに、空も、街も。いやに明るく目に映る。
 一時的に止んだのは今だけで、程なくしてまたちらついてくるのだろう。雪だけならばよいが、昨晩は風も酷かった。今は落ち着いているが、マグカップをふうふうとさせる吐息程度の軽やかさからごうごうと捲し立てる大騒ぎの様相に変わるまで、大して時間はかからないかもしれない。
 この分だと商店も開かないだろうし、今日は買い物には行かずに買っておいたクッキー缶でも開けようかと考えながら、ふと路肩を見遣る。
 そこにはまだ誰にも踏み荒らされていない雪の原があった。
 う、と言葉に詰まる。
(ふ、踏みたい……)
 ぎゅ、とつま先に力を入れ、全身で体を押し留める。
 今は明かりの灯っていない街灯の下だというのに、そこだけがきらきらと、魅惑的な輝きを放ってクリスを誘う。
 勝手に外に出てはいけない。今の自分の境遇を思えば、雪かきだってやってはならないことだ。この上さらに罪を重ねるというのかとクリスは自問自答を繰り返す。
「……えいっ」
 誘惑に負けたクリスは、なるべく軒先といえる範囲からは出ないようにと頑張って足を伸ばし、つま先だけ新雪に触れようと試みる。しかし……そんな無謀な試みは当たり前のように失敗する。不運というのは狙ったようなタイミングでやってくるものなのだ。
「わあ!」
 つるっと足を取られ、体勢を崩したクリスはそのまま傍らに立つ街灯にぶつかり、その頭上からどさどさと大量の雪が降り注いだ。
「うぶっ」
 絵で描くならば、大量のホイップクリームのような雪にこんもりと埋もれ、目玉だけがぱちぱちとしているように表現されるであろう状態か。
 クリスが突然の出来事にあっけに取られていると、鈴の転がるような声が聞こえた。隣の花屋のマリーだ。
「す、すいません大丈夫ですか? 外に出たら突然クリスさんが滑って雪に埋まっちゃって、私ちょうど見ちゃって……」
 なんとか笑いを抑えようとするマリーに、クリスも正直な心の内を話す。
「ううん、僕もびっくりしてる」
 足が滑ったことも驚いたが、こんな大量の雪がいったいどこから降り注いできたのか。少なくとも街灯の上に積もっていた分だけとは思えない。
「ヴィーくん呼んできますね!」
「うん、ありがとう」
 マリーがクリスの家の赤い扉をノックするとほどなくしてヴィダが顔を覗かせ、マリーの案内でクリスを見ると「うわ」と眉を寄せた。
「なんでそんなことになってるの」
 言いながら、メイド服とコートの裾をはためかせて近くに寄ってくる。彼はクリスと出会った時からメイド服を着ており、この国でも当たり前のようにメイド服を常に身につけていた。
「ううう、ごめんねヴィーくん。僕もなんでこんなことになったのかわかんないんだけど」
 ヴィダの手伝いの甲斐あって、どうにか雪の塊から脱出したクリス。
「ちょっと屈んで」
「ん」
 頭に残っていた雪をヴィダの手で払われ、クリスは続けて礼を言う。
「あれ、まだ残ってた? ありがとヴィーくん」
 体を起こそうとするクリスを視界で捉えるより前に、反射的にヴィダは彼の襟首を掴む。言葉はそのあとだった。
「待って」
 刹那、頭上で短い破裂音が響き、彼ら全員の上に雪が落ちてくる。
「びっくりしたー、二人とも大丈夫?」
「び、びっくりしました……なんでしょう? 屋根の雪……ですかね?」
 頭に再びこんもりと乗った雪を払い落としながら、クリスはヴィダを見る。彼は瞳を細めて、曇天を行き交う重い雲の合間を見ていた。天気のうつろいを見るには些か鋭い、猛禽類を思わせるような視線。そしてその視線の先は、わずかに動いていた。
「この調子だと、また雪降ってきそうだよね。マリーも今日はお店休もうよ。全然人いないし。僕たちのところも閉めちゃおうかなって思ってたんだ」
「そうですねー、そうします」
 通りに自分たち以外の人影はない。
 この分だと、店を開けたところで閑古鳥が鳴くだけだろう。
「今夜から明日にかけて雨予報ってラジオで言ってたから、朝にはマシになっているんじゃないかな」
「道路凍らないといいですね」
 じゃあまた明日、と挨拶し、三人はそれぞれの家に続くドアを開ける。
 パタンと扉が閉じると、ヴィダがしっかりと施錠をしながら「それで」と話しかけた。
「どうして外に出たの」
 地の底から響くような低い声に、クリスは申し訳なさそうな声で返す。
「ええと……ドアの回りだけでも雪かきしようって思って」
「なんで呼ばなかったの」
「ヴィーくんが朝ご飯の準備してくれていたから」
「じゃあなんで路肩で、あんな雪被ってたの?」
「新雪があって、つい踏みたくなっちゃったんだ。でもあんまり離れるとよくないから、足をうーんと伸ばしたんだけど……そしたら滑っちゃった」
「はあ……で?」
「そのまま街灯にぶつかって、すごい量の雪が上から降ってきて身動きが取れなくなりました」
「……はあ……」
 しょんぼりと肩を落とすクリスに、ヴィダはため息を一つ吐き、もういいよと声を掛ける。
「次はちゃんと呼んで。今日はたまたまマリーさんが居たからよかったけど、こんな人通りの少ない日に雪で身動きとれなかったら、誰が助けてくれると思ってるの」
「ごめん」
「とりあえず、朝ご飯食べよ」
「うん」
 二人が朝食の席につくと、ほどなくして雪がちらつき始めた。
 ひらひらと花弁が舞うだけのようだった雪は次第に大ぶりなそれに変わり、窓の外はみるみる白い嵩を増していく。
「結構降ってきたね」
 朝食後のコーヒーを飲みながら外を見るクリスに、ヴィダはそうだね、といいながらブラインドを下ろしてリビングの豆電球を点けると、ほの明るくなった部屋はまるで早めの夕刻が訪れたかのように思えた。
「今日は外行かないよね?」
「うん。書類整理しようかな」
「ん」
 クリスの返答に頷き、ヴィダは慣れた調子で暖炉に薪を一袋追加した。
 ぱち、と大きく爆ぜる音を聞きながら扉を閉め、今度はキッチンへ向かう。クリスのカップが空になる前に、次の飲み物を用意するつもりなのだろう。
 一口分だけ残し、クリスは近頃のことを思い起こす。
 ヴィダとこの街へ越してきて、しばらく経った。
 ラッセル家の滅亡は今も世界中に影響を及ぼし、金融市場をはじめとして混乱が続いている。
 多くの失業者を産み、流星群のようにビルからよりよい場所を求めて飛び降りる人々や、責任者が夜逃げしたオフィスに群れを為して強盗が押し入る事件、最大のスポンサーを失い、スカスカとなったテレビのコマーシャルなど、ラッセル家の名を知らない人間でも必ず余波を被っている状況が続いていることを、クリスは知っている。
 クリスの視線の先にある新聞は、売店に並ぶそれよりも明らかに紙面が少ない。
 ラジオも、テレビも。クリスの目に、耳に触れる情報は全てヴィダが選んでおり、悪いニュースの多くが彼に届かないように計られている。
 それでもすり抜けてくる街中の噂話や道ばたに落ちている新聞紙、チャンネルを変えられる間際のニュースなどからクリスが拾い上げただけでも、ラッセルが滅びた影響は伝わっていた。
「コーヒー、お代わりいる?」
「うん、ちょうど飲みきるとこだったんだ。ありがとヴィーくん」
「ん」
 ヴィダがクリスに情報を選別している理由は、ひとえに彼を思ってのことだと理解している。故に、情報が届いている素振りをクリスは見せない。誰より責を取るべき立場である自分を捨て、ヴィダに微笑むことがどれほどの業であるかを理解した上で、クリスは自らの命を所有する彼に向けて都合よく振る舞う。
「ヴィーくんも一緒にお茶しよう。次の依頼で頼みたいことがあるんだ」
「わかった」
 再びヴィダがキッチンへ戻る。その背を見送り、クリスは部屋の外へ続く扉の方へ視線を移した。
 近頃は、物騒だ。
 景気も情勢も様々な国で揺らぎ、不安定な状態が続くということは、それだけ予期しないことが起こる。
 予期しないこと。たとえば、差出人のないプレゼントが毎日届くことだとか。
 たとえばそのプレゼントは開くと中から人形が飛び出してパンチしてきたりだとか。
 そんなプレゼントが三日も続いていたら、ついには爆発するようになったとか。
 ことん、と。
 郵便受けから何かが落ちる音がする。
 今日のプレゼントが届いたようだ。
「来た?」
 何時の間にか戻ってきたヴィダが尋ねながら、玄関先へ足早に向かう。メイド服と羽織るコートが重たそうにはためくというのに、足音も衣擦れの音も立たない。
 そうして郵便受けから差し込まれた本日のお届け物。玄関内に落ちたその封筒を検め、ヴィダは眉を寄せる。爆発物にしては軽い。薬物でも仕込んでいるのかと警戒しながら封を開け、中を見るなり彼は大きく舌打ちをし、大きな音を立てて階段を駆け上がる。
 封筒の中身は小さなメモ。舌を出した顔のイラストが描かれていただけであるが、ヴィダからすればそれだけで状況も差出人も十分に読み取れた。
 ばんっと扉を開け放つ。手には銃を握って。
「よーお、久しぶり。えっと、今はヴィダだっけ?」
 軽やかな声音は高く、ヴィダの耳に馴染む。それだけに彼らしくない手法だとヴィダは吐き捨てるように返す。
「誰の差し金?」
「誰からでもいいじゃん。助けに来てやったってのによ」
 口から風船ガムでも膨らませているような彼の話し方には、明確な敵意とあざけりがあった。それはヴィダに向けられたものではなく、ナイフを首元に当てたクリスへ向けてのものだと、彼の言葉から明確に読み取れる。
「お前はいつだってオレより上だけどさー、速度だったら負けたことねえよな」
 相対しているのは、ヴィダと同じ組織に属する少年。名をバートという。
 年が近いことと、組織内のランクがヴィダの方が高いことで何かと勝負を挑んでくる彼がこの数日届いていたプレゼントの送り主であることはわかっていた。今日狙撃して雪を落としてきたのも彼であろうと、アタリもついていた。
 だが、彼と仲がいいからこそ今乗り込んでくることに違和感があった。
「バートは確かにオレより速いけど、それならなんで今入ってきたの」
 ヴィダの知る彼は、猪突猛進という言葉がぴったりな人物であった。もしクリスのことを頭から疑ってかかっているのであれば、脇目も振らず突っ込んでくるか言葉もかけずに夜襲しているだろう。
「いつもならとっくに殺しにかかるのに。誰かに止められてたんじゃないの」
 致死的ではないプレゼントを送ってくるのは、襲撃が出来ずやきもきしている中で楽しみたいからではないのか。ならば今奇襲を仕掛ける意味は?
 ……楽しむ?それなら、
 そこでヴィダの思考が一瞬止まる。クリスが動いたからだ。それも、自ら刃先に当たるように。
「ば、お前なにしてんだよ!?」
「あ、ごめんね。腰が痛くなっちゃって……はは」
 慌てたバートが刃を退けたが、皮膚は切れたようで首筋を血液が伝っていく。怪我の具合がわからないバートは、クリスに向かって怒鳴ろうと息を吸う。
 それだけの隙があれば十分だった。
「いっっ」
 一息で間合いを詰め、襲撃者のこめかみに容赦なく銃床を叩き付ける。重く鈍い打撃音と、鋭い悲鳴が上がるなり、彼は床に伸びた。
「ヴィ、ヴィーくん!助けてもらってすっごい嬉しいんだけど、そして面倒かけてごめんねなんだけど、あの、この子大丈夫!?」
「……なんであんたがそいつを心配してるの」
 クリスの言葉に辟易した声が出る。
「頭を強く打ったら危ないでしょう? ヴィーくんのお友達みたいだし……なにかあったら、ヴィーくんに申し訳ないよ」
「そいつ、あんたを殺しにきたんだけど」 
「今は殺すつもりなさそうだったよ? だからまだ、うん。万が一が起きるのはよくないと思う」
「……わかったよ」
 クリスの言葉を聞いたヴィダは、腕が粟立つ感覚を覚えるのを隠しながらバートをソファへ運ぶ。「氷取ってくる」とキッチンへ戻ったところで、両腕を自らの手で強く押さえた。
 あの時クリスが動いた理由に気がついたからだ。
 おそらく彼は、二人のやりとりを聞いてヴィダと同じ思考に至ったのだろう。それも、ヴィダよりも速く。
 鼓動が胸を打つ感覚が、耳にまで届く。
 バートは誰かに差し向けられて此処へ来ているのは確かだ。そして彼は、何かしらの理由でクリスを殺すことを止められていた。
 しかしバートは、生来飽き性だ。
 仕事は忠実にこなす。だが、結果を出せるのであればその過程でちょっかいや、おいたをしてもよいだろうと自らの楽しみを優先する癖がある。
 以前バートと仕事を共にした時に、悪ふざけを繰り返す彼に対して、遊び気分なら帰れと激高したこともある。
 今回のこともきっと、最終的にはクリスを殺すことになるのだし、なら暇潰しに遊んでみよう。せっかくだしヴィダを困らせてやろうと乗り込んできたのだろう。
 それを、バートのことを何も知らないクリスが。ヴィダよりも速く読み取って、ああいった行動に出た。
 そりゃあ、金持ちの子供であれば誘拐されたこともあるかもしれない。だとしても……だとしてもだ、と、吹き荒れる胸中をなんとか静め、氷嚢を作る。
 腫れたバートのこめかみに当てると、今度はクリスに向き直った。
「あんたがうるさいから手当てしたけど、今度はそっち。首、切れてるでしょ」
「もう止まったんじゃないかなー」
「いいから。消毒するから。屈んで」
「ありがとう」
「いいから」
 クリスの首筋の傷を検めれば、それはごく浅いものだった。心のうちで安堵の息を漏らしながらヴィダは消毒を行い、その傷口をガーゼで覆う。
 そういえば、初対面のときもこいつはためらいなく自らの頭に銃口を招いたのだったかと思い出して、奥歯を強く噛み締める。口内で砂利を噛んだ時のような感触と苦みが広がり、特に理由もなくヴィダはクリスの肩を叩く。
「はい、手当て終わったよ」
「いたい! うう、ありがとヴィーくん。ごめんね」
 肩を押さえ、ハの字眉で困ったように笑うクリスはそれにしても、と気絶しているバートを見遣る。
「ヴィーくんより、年下?」
「一個下。その割に小柄でしょ」
「うん……本当に子供が働いてるんだね」
「組織に所属するってそういうことだよ」
「組織、かぁ。ヴィーくんの勤めているとこ、だよね」
「うん。みんな組織って呼ぶから、組織としか呼んだことない」
 『組織』と称される団体があるということはクリスも知っていた。
 身寄りのない少年を引き取り、育てる代わりに裏稼業を行わせる団体。ラッセル家は組織と取引をしていない、とクリスは把握している。個人として組織とやりとりした者はいるかもしれないが、『ラッセル家』として『組織』と取引を結んだ痕跡は残されていなかった。
 そもそもクリスの知る『組織』は、人々から口々に噂されるだけで本当に実在するのかは疑わしいと考えていた。
 それはさながら、宇宙人と取引を行う大国であったり、夢の中に存在する大学であったり、永遠の苦痛がない幸福をうたう宗教であったり。そういった、実在するかもしれないと誰しもが可能性を感じる都市伝説。
 その一つが『組織』だというのがクリスの認識だ。よもや実在していたとは。
「ヴィーくんとあったあの晩、本当にあったんだなぁと思ったよ。お伽噺かと思ってたから」
「ブラックサンタと同列にしないでよ」
「僕にとってはブラックサンタみたいなものだったよ」
 そう言ってクリスは笑うが、どんなブラックジョークだとヴィダは肩を竦める。
「僕が知る噂だとさ、組織は身よりがなくなった子を引き取るって聞いていたんだけど、二人ともそうなの?」
 クリスの質問に、ヴィダは頷く。
「オレは十の時に親を亡くして組織に入った。でもバートは、赤ん坊の時からいるんだってさ」
「赤ちゃんから?」
「そ。赤ちゃんポストってあるでしょ。そこから組織が引き取ったんだって」
 生まれた後、様々な理由で養育できない子供を引き受けるスポットは発展した国であれば殆どにある。主要都市には望まれない子を必ず引き受ける場所を設けるよう、国際法で決まっているからだ。
 預けられた子供たちは各地域の孤児院や児童福祉団体へ向かう子らもいるが、場合によっては秘密裏に研究機関や人身や臓器売買に回る場合もある。その数多ある行き先の一つが組織なのだろう。それでも、預けられるならば劣悪な環境であろうと生きていける可能性があり、何かしらの役に立つ分、彼らには未来がある。
 預けられることもなかった子供の多くは路肩で産み落とされたっきりであったり、トイレに流される場合や母親の手によって命を絶たれる場合だってあるものだ。
 だからこそ望まない子を宿した者は子の行き先がどんなものであろうとも、引き受けてもらうことを選ぶ。そうすればあとは国が子の命と引き替えに責を負ってくれるからだ。
「バートと会ったのは、一年半ぐらい前。色んな地域飛び回って仕事してる時に寄った支部にいて、喧嘩売られて、勝って。それからずっと付きまとわれてる」
「仲よかったんだねえ」
「話し聞いてる?]
 のほほんとした調子で返すクリスに、ツッコミを入れながらヴィダはすっかり日常の調子に戻っていることに気がつく。話題は物騒で、目の前には昏倒した元同僚、その同僚に命を狙われているターゲットが隣にいて、その人物はヴィダのターゲットでもあった。そんな状況だというのに、こんな物々しい話題だというのに、あくまで日常の時間が進んでいる。
 その奇妙さに、ヴィダは戸惑いを覚えた。
「うう……頭いてぇ……」
 うめき声と共に、バートが頭を押さえながら瞼を開いた。たんこぶは時間と共に大きくなっており、今や触れただけで絶叫をあげるほど。
「いでえ! 割れそう! 頭割れちゃいそう!!」
「割れないよ。それより、あんまり動かないほうがいいよ。死なないとは思うけど、結構な力で叩いたから」
「あ、」
 バートがヴィダを見て彼に呼びかけるより前に、ヴィダはバートの口を思い切り押さえ込む。
「もがががが」
「今後その名前呼ぼうとしたら、容赦なく殺すから」
「もがー!」
 遠慮なく押さえ込まれ、目尻に涙を溜めてもがくバートを見て、クリスがヴィダを窘める。
「ま、まあまあヴィーくん。そのくらいにしよ? ね?」
「あ! お前!」
「お前じゃないでしょ」
「えーと、えーとじゃあ……家主! ヴィダを返せよ!」
「どうどう。そんな勢いよく起き上がったら危ないし…… ほら、お茶でも飲んでさ。ゆっくりお話しない?」
 ね、とヴィダに視線を送るクリスを無視し、ヴィダはバートを睨み付ける。
「敵から施しは受けねえ。だいたい、茶なんてなにいれられてるかわかんねえし」
 ぷいっとそっぽを向くも、その反動に頭が揺れたのか気持ち悪そうに瞼を閉じる。
「ほら、ね。ちょっと休んでいきなよ。今日雪だし。僕はお茶煎れられないし、安心して」
「うう……わかった……」
 よっぽど具合が悪いのか、静かにソファに横になるとあっという間に眠ってしまう。
「……ヴィーくん、ほんとにこれ、大丈夫だよね?」
「……大丈夫……だと思う」
 さしものヴィダも不安になってきたのか、今日は一日ここで彼を見張りながら様子を見るとクリスへ伝える。
「面倒かけるかもだけど」
「ううん、大丈夫。じゃあ、僕はあっちで仕事するね」
 バートの容態も心配だが、万が一彼になにかあったときのヴィダが心配なので、クリスは彼らの近くで仕事を行うことにする。こういった時、広めの部屋を借りておいてよかったと思う。この物件を見つけたのも契約したのもヴィダだが。
(ヴィーくんは賢いなぁ)
 と思いながら、クリスは溜めていた領収書とノートを机に広げ、書類整理に立ち向かうため袖を捲るのであった。



        *



 バートにとって、組織は家族であり、友であり、同僚である。
 バートにとって組織とは、帰る家であり、学び舎であり、職場であった。
 そこで働く多くの者にとって組織は居場所であり、一部のそうではないものが順繰りに彼らにとって相応しい場所へ向かうのだという。
「七歳の頃に売られてきました」
「五歳の頃に孤児院から送られてきました」
 様々な年齢の子供が組織にやってきては去って行く。
 一人前になるまでに彼らは多くの事柄を身に付けなければならない。一般的な教養と振る舞い、専門知識、体技。一通り生き抜く為に必要な家事やテーブルマナー、果てには芸事まで。
 どんな事柄をどの程度習熟しているかは定期試験で測り、基準値に達しない場合は組織を去ることになる。
 幼い頃から勉強と激しいトレーニングを繰り返し、自らの身の回りも世話しないといけないという状況を受け入れられろと言われた子供たちは、それでも多くが必死に食らいつこうと努力する。
 なぜなら組織に所属するということは、他者から必要とされなかった命だということだ。時間を、金銭を、命を消耗してまで必要だと判断されなかった命だということなのだ。
 身よりがなく、寄る辺がなく、庇護を与えられなかった子供たちは、通常生まれたならば当たり前に享受できる価値を自ら付与しなければならない。そのために必要なものを身に付けながら、世に耐えられる精神を宿さなければならない。組織はそのために、彼らを教育し、基準に満たないものは他団体へと移籍させる。
 そうしなければ不満を抱いた子供たちはやがて、自分たちの境遇を恨み、他者を妬んで、組織で身に付けた技術を悪用するであろう。彼らが万が一投獄されるようなことがあれば、育成に掛けたコストがもったいない。
 法の下では不要な命は活用できない。そして、法の下では救われない命たちもまた、多い。故に『組織』のような団体は月の裏側に居座り続けている。法では扱えない事柄を円滑に回すために。
 バートは組織にやってきた彼らの殆どと友達になり、新しい子がやってくれば積極的に声をかけ、面倒を見ては友達だと一緒に遊んだ。誰になにを強制されるわけでもなく、バートはいつだって明るく声をかけ、笑う。笑い合った数だけ友が増え、さよならも増えた。それでもバートは友達作りを決してやめない。疎まれても、嫌がられてもまずは声を掛ける。
 彼のことを指して、やかましバードと揶揄する者もいれば、懐こい犬のようだと好ましく思う者もいる。……余談だが、バート自身は犬嫌いであり、自認はライオンである。
 今はヴィダと名乗る彼がやってきたその日も、バートは自分から声をかけた。
「よっ。オレ、バートっていうんだ。お前は?」
「……いきなり、なに?」
 第一印象は辛気くさいやつ、だった。
 これが本当に、伝説級とうたわれるAランクなのか? とバートは内心疑う。
 定期試験で割り当てられるA~Fのランク。この中でも大体の子がDランクで卒業し、軍や貴族に引き取られていく。各支部に一人か二人Bランクが居るが、Aランクというのは世界中の支部を探して何名見つかるか、という貴重さであった。
 現在バートのランクはB。
 さらなる高みを目指したいところではあるが、そんな伝説級にどうやったらなれるのかは誰もわからない。
「お前、ほんとにAなのか? ずいぶん愛想悪いじゃん」
 定期試験の項目には、人格面も含まれる。バートは愛想や面倒見がいい点を特に褒められており、であれば自分よりランクが高いものは余程好印象な人物なのだろうと考えていた。
 それが、あってみればこうもつっけんどんで無愛想なやつだとは。
「なあなあ、もし此処でお前を倒せばさ。オレがお前より優秀ってことになるんじゃね?」
「めんどくさ。もめ事起こして、誰が得するの」
「う、うるせえなあ! いいから勝負しろ……」
 わあわあと喚くバートに彼は短く息を吐いた、のを知覚した頃には床に組み伏せられていた。
「よっわ。口ほどにもないね」
 愉快そうに口の端を歪める彼の顔はひどく生き生きとしていて、動きを止めるほどに可愛らしかった。
「……性格わっるぅ」
 ふて腐れた声を出すバートの上から退いた彼は鞄を持ち直し、呆れた声で返してきた。
「よく言われる。もう関わんないで。だるいから」
 言うなり廊下を進みはじめる彼に、バートは追いかけながら声をかける。
「なあなあ、じゃあ今度はゲームで勝負しようぜ。なにやる? オレ色々持ってるからさー」
「関わるなって言ったじゃん」
「ていうか、どこ行こうとしてんだよ。まだ鞄持ったままじゃん」
「シャルロットに報告があるの」
 聞き馴染みのある名前にバートは驚く。シャルロットといえば研究と医療を担当する人物であり、バートの最も仲のいい人物だった。
「シャル? オレ部屋知ってるよ。案内しよっか?」
 バートの言葉に彼は足を止める。
「ほんとに? 嘘ついたらタダじゃおかないけど」
「こんなんで嘘ついてどうすんだよ。こっちこっち。中庭抜けると早いんだよあいつの部屋は」
「中庭……? 地図になくない?」
「あー、載ってねえかもなー。そもそもシャルの部屋って表向き寮にあるけど、ふだんそっちいねえもん」
 そういいながら、建物の作りについて説明する。
 なんでも防衛の為に複雑な作りをしているそうだが、噂によればこの支部にいるボスの趣味でとあるゲームをリスペクトしているんだとかなんだとか。
「オレもそのゲームやったことあるんだけどさ、一人でやるゲームってあんま続かなくて」
「ふうん。大量に湧いてくるのまとめて潰せると楽しくない?」
「そうかなー。だったら爆弾置いて、うまーく引っかかったの見るほうが好き」
 愛想が悪く、顔のいいAランクはゲーム好きのようで、その後シャルロットの部屋に着くまでずっとゲーム談義で盛り上がった。
 それから色々、勝負を挑んでは負けて、ちょっかいをだしては怒られてと繰り返すうちにますます仲が深まり、次第に彼はシャルロットと同じぐらい、バートにとってかけがえのない友人で、ライバルとなった。
 彼は職務に忠実で、常に自分を律し、他者を律して生きていた。仕事ではいつだって完璧で、日常においても一分の隙も見せない。
 決めたルーティンを必ず守り、仕事をやり抜く姿はバートの中で密かに尊敬と憧れを育み、同時に強烈な闘志を抱かせるに至った。
 バートが勝負を挑み、負ける。
 確かに決まった流れではあったが、それはバートが強くなれば彼は確実にその上をいくように鍛え、考え、対応してくるからであった。
 だからこそ、バートは信じられなかった。
 あの彼が。憧れ、尊敬し、闘志を燃やし続けた無二のライバルが仕事に失敗しただなんて。
 確かに、恐ろしく難度の高い仕事だったとは聞いている。準備に準備を重ね、ボス直々に極々少数の人物だけに下した指令。いくら伝説といわれる人物であっても、命を落としたとしても仕方がない。目的は達成できているだけでも奇跡のようなものだと先輩は口にしていた。
 それでも信じられなかった。信じたくなかった。
 取り乱した様子で帰ってきたシャルロットを説得し、必ず生きていると伝えたのはバートだ。きっと生き延びて、どこかでほとぼりが冷めるのを待っているのだと自分にも言い聞かせるように繰り返し、繰り返し説明した。
 やがて落ち着きを取り戻したシャルロットと、現場を調べ、不自然な痕跡をつぶさに記録し、調査と検証を行った。といってもバートに出来たのは、シャルロットに言われるまま物を回収したり、彼が取りそうな逃走経路のシミュレートをシャルロットへ伝えただけ。実際に彼の行方と逃走先を割り出したのはシャルロットだ。
「バート、あの……言いづらいんだけど……」
 調査を終えたシャルロットは、沈痛な面持ちで切り出す。彼の口から語られた内容は、バートにさらなる衝撃を与えた。それは、あいつが誰かと共にいるということだった。「まだわからないよ。その人に脅されてるのかもしれない。だからその、組織から逃げ出した……とかじゃ、無いとは思うんだけど……」
 当たり前の話だが、組織から逃げ出せば行き着くのは死だ。
 定期試験で落とされた場合とは訳が違う。明確に自らの意思で組織を裏切ったのであれば、それは自らで責任を取らなくてはならない。
「あいつが……?」
 それは、バートにとって彼の死よりもあり得ないことであった。まだ殺されたのであれば、理解ができた。信じたくはなくとも、理解はできたのだ。
「あいつが、誰かと逃げた? いやいや、そんなわけ……そんなわけないって」
 彼は組織に対して並々ならぬ熱意があった。十の頃にやってきたというのに、あっという間に功績をあげて様々な支部を飛び回っては功績を上げ続け、組織内での地位を高めていたのだ。その彼が? あり得ない。
「オレが見てくる。脅されたってのも考えづらいけど……騙されてるんなら、可能性、ありそうだし」
 そう。そうだ。きっと騙されたのだとバートは何度も頷く。ラッセル家というのは、そうした家だと聞く。決して表舞台には立たず、代わりに彼らの崇拝者が表立ってラッセルの為に振る舞い、代理人として活躍していくのだと。あの屋敷の中でなにがあったかは知らないが、もしかすると薬物で意識を惑わされたのかもしれないし、あやしい洗脳技術のようなものだってあったかもしれない。なにせ大貴族だ。あやしい薬なんて、種類も効果も余るほど持っているだろう。
「でも……いや、ううん。そうだね、きっと脅されているんだとおもう」
「だろ? だからオレが助けなくっちゃ」
 そうと決まれば、と駆け出そうと一歩踏み出したところで、シャルロットが大声で呼び止める。
「待って! まだダメ、まずは様子を見なくちゃ。もし洗脳されているなら、戦わなくっちゃいけない。そしたらバート、勝てないでしょ」
「うぐ。こ、今回こそ勝てるかもじゃん?」
「だめ。殺されるかもしれないよ?」
 真剣な瞳で、小さな子に言い聞かせるようにシャルロットはバートをなだめる。バートはその言葉におおいに動揺し、瞳を泳がせる。殺される? あいつに?
「……殺されねーって。だってオレ、あいつのライバルだし……友達だぜ?」
 最後のほうは、祈るような気持ちで呟いていた。だからこそ気がついていた。もし彼が、本気で仕掛けてくるようなことがあれば命を失うのは自分だということに。
「バート……」
 シャルロットは何事かを口にしようと唇を動かすもなかなか言葉が結べず、やがて諦めと共に引き結ぶと別の言葉を発する。
「まずは、様子を見よ。ちゃんと調べて、気付かれないうちにターゲットを始末するようにしよう。ぜったい連れ帰るために」
「……ん」
 力なく返し、仕事が残っているシャルロットを置いてバートは先に彼らの潜伏先へとやってきた。到着する頃にはすっかり立ち直り、初日は知らない街を大いに楽しんだ。
 ぐっすり眠り、翌日から日がな一日双眼鏡で彼らを観察し、シャルロットへ報告をしていたバートだったがあっという間に飽きが彼を捉えた。
「ヴィダってなんだよ。なんで今そう名乗ってんだ」
 がりがりと棒キャンディを囓りながら文句を呟き、この街で見つけたお気に入りの綺麗なクッキーを買い食いしては退屈だとホテルに帰っては夕方までゲームをし、夜になれば再び監視。寝る前にシャルロットに報告をして過ごす。
 クリス、と名乗るやたらと容姿のいい青年と、ヴィダと名を変えて過ごす彼は笑顔が増えたように思えた。
 毎日毎日トレーニングと勉強を繰り返し、仕事だとほうぼうを飛び回ってはゲームもストイックに技術を極めようと取り組む。そんな殺伐とした様子が、消えていた。
「……すっかり平和ボケしやがって。お前、そんなんじゃねーじゃん」
 呟いた言葉が秋も深まった夜に侘しい響きを伴って沈んでいく。
 こうして自分が見ていたとしても、ヴィダの生活にはなんの影響も及ぼせない。それがひどく寂しい。
「あ、そうだ」
 そこで思いついたのが、プレゼント作戦だった。
 これで腐抜けたアイツの危機感を鍛え直してやろう。ついでに焦ったり怒る顔を楽しもうとバートは思いつく。シャルロットには言えない。絶対怒られるからだ。
 そうしてしばらくは、愉快な心地で過ごせた。シャルロットへの報告をする時も、うきうきとした声音になっていたとおもう。通話相手はさぞ訝しんだろうが、シャルロットが来るまではまだまだ時間がある。せっかくなら、もっと驚かせてやろう。いたずらしてやろう。もっともっと、自分がいることを伝えて。警戒させて。自分の存在を意識してほしかった。


「……んぁ」
「やっと起きた。おはよ」
 目を覚ますと、隣にヴィダがいた。
 彼は呆れた顔を浮かべたまま、予兆もなく額をべちんと叩いてくる。
「いでえ!」
「たんこぶは避けてやったんだから、喚くな」
「でも痛いって!」
 ひーんと目を瞑るバートに、ヴィダは嘆息しつつ「それで」と話しを振る。
「なにがしたかったんだよ」
「……お前、アイツに脅されてるんだろ。それか、騙されてんだ」
「はあ?」
「だって! お前が裏切るワケねえじゃん! 誰より厳しくってさ、ずっと努力してたお前がさ! 裏切るワケねえじゃん!」
 ヴィダはちらりと扉に視線を向けたあと、横に首を振り、静かに返す。
「バートやシャルには悪いと思ってる。組織にも、顔向けできない」
「……んだよ、それ」
「それでも、こうすることは自分で選んだ。組織に入ることを決めたように、自分で選んだんだ」
 そこで言葉を区切り、バートの両手を自らの手で包む。その手は、先ほどまで銃を握り、躊躇いなくバートを殴りつけたことを選択した手だった。
「シャルに伝えて。戻る予定はないって」
「……っお前それ、死ぬつもりかよ」
「死ぬ気はないよ」
「じゃあどうすんだよっお前がなんて言ったって、組織に刃向かって……助かるわけねえって!」
 ヴィダは視線を反らす。組織に戻りたくないわけではない。あそこには返しきれない恩義があるし、仕事が嫌いになったのでもない。かといって、クリスを連れて戻れる筈がない。
 じゃあどうしたらいいのか。
 バートに言われずともずっと、逃亡中はもうずうっと考えてはいる。しかし、いくら考えたって良い手が全然思いつかないのだ。
「……バートには関係ない。もう放っておいて」
「そういうワケにも……!」
 煮え切らないヴィダの態度にバートが声を荒げたところで、階下からベルの音が聞こえた。
「ちょっと待って。お客さん」
「え? 客っておま、そのカッコで」
 ヴィダが当たり前のように階下に降りていくので、バートも気になって後をついていく。
 玄関には女性がやってきていた。
 白いニットにオレンジのお花があしらわれたのカーディガン、若草色のワンピースにエプロンをつけた姿は、童話の森に住んでいるような出で立ちだ。
「あれ、ヴィーくんのお友達? こんにちは、はじめまして」
 にこっと笑いかけられ、バートは思わずピシっと固まってしまう。
「なんでついてきてんの……」
「お友達が来てるなら丁度よかった! マフィンを焼いたから、みんなで食べて」
「すみません、ありがとうございます。いただきます」
「ふふ、いいんだよーヴィーくん、毎朝うちの前も雪かき手伝ってくれてるでしょう? こんなお礼じゃ、全然足りないくらいだもん。また焼いてくるよ」
 なごやかに会話を行う二人を見て、バートはそういえばと思い出す。女性は朝見た顔で、この家の隣にある花屋を経営している人物だ。この家に定期的に花を仕入れており、仕事以外でも交流を持っている。
「…………ほやぁ……」
 そんな情報を思い出しながらも、脳内を文字として浮かぶだけですぐに流されていく。
 かわいい。めっちゃかわいい。
 いつもは上から見ているだけだったので気がつかなかったが、女の子と言われて想像するようなふわふわとした要素だけで構成されたような彼女は、口調も穏やかで花と焼き菓子の甘い香りが漂う。
 すっかりぽやーと見惚れてしまったバートに気がつき、ヴィダは肘で彼を小突く。
「はっ、オ、オレ、バートって言います。えっとコイツ……ヴィダの友達で、いま久々に会いにきたとこで……」
「そうなんだー、私はマリーっていうんだ。これからよろしくお願いします、バートくん」
 マリーがぺこりと頭を下げ、にこりと花の咲いたように微笑まれてしまえばもう。バートの頭の中はというと、初めてこんな絵や漫画にしか存在しないような彼女にすっかり夢中になってしまった。……奇しくもそれは、クリスを一目見た時の自分に似ているように思えて、ヴィダは今度は強めにバートを肘で小突いた。
「じゃあ私は帰るね。またねヴィーくん」
「お菓子、ありがとうございます。クリスにも伝えておきます」
 マリーが去ったあと、ヴィダはじとりとバートを睨む。
「マリーさんに変な気、起こさないで」
「へ、変な気ってなんだよ! 起こしてねえし!」
「絶対惚れたでしょ。あんなぼんやりしてみっともな」
「いやいやだって、めっちゃ可愛いじゃん! 無理だって! 惚れちゃうだろあんなの」
「まあ確かにマリーさんは可愛いけど、だからってあんなみっともなく、あからさまな好意丸出しで女性を見るなって散々教えられてきたじゃん。全っ然実践できてないじゃない。ほんと、そういうとこだよ」
「なんだよー!」
 二人でやいのやいの騒いでいると、上階からクリスが声を掛けてきた。
「あ、バートくん元気になった? 起きて大丈夫?」
「平気みたい。それより、マリーさんがお菓子くれたよ」
「わあ! じゃあみんなでお茶しよっか」
「じゃああんたは座ってて。用意するから」
「はーい」
 クリスとヴィダのやりとりを聞いていたバートは、小首を傾げる。
「なあなあ、アイツに手伝いさせねーの?」
「させない。やりたがるけど出来ないし、邪魔だし。だからさせない」
「へ~~、なんだお前、アイツ専用の家政婦じゃ……うごっ!」
 容赦のない重い一撃を脳天に受け、自らの頭上をぴよぴよと回るひよこをバートは目で追いかける。
「やっぱ殺せばよかったかも。ほら、早く来て手伝って」
「え! オレお客様じゃねえの!」
「どっちかっていうと虜囚だよ。誰のおかげで今生きてると思ってんの。ほら早く」
「ひええ……」
 ヴィダの目には一切の容赦がなく、これ以上苛立たせると本気で命が危ないとバートは察する。仕方が無いとしぶしぶヴィダの隣に立つと、ティータイムの準備を手伝う。「……あのさ」
「なに」
「お前にとってはさ。もう、オレやシャルのことはどうでもいい? 嫌いんなった?」
 茶葉を用意する手は止めず、淡々と尋ねるバート。その様子に、彼の今の心境がヴィダの胸にようやく伝わってきた。
 寂しいのだ。
 バートには友人がたくさん居る。それこそヴィダの比ではない程、組織の中では多くの人に慕われる彼が、何故自分が離別することを寂しがるのか。そこまではヴィダには察することができない。
 それでも、これまでのらしくなさの原因が寂しさにあることは想像ついた。
「あいつに騙されてないってお前は言った。お前は、お前の意思で仕事を放棄して、あいつを選んだ。そう言った。間違いないよな」
「……うん。そう。オレが自分で選んだ」
「オレやシャルがいる組織じゃなくて、アイツを選んだ」
「そうだよ。間違えてない」
 バートは激高するかと思った。
 これまでの関係性も、自己が信念と掲げていたもの全てを否定するようなことをしたのだ。まっすぐな性格の彼であれば掴み掛かって怒鳴るだろうと。
「そっか」
 返ってきたのは、それだけだった。
 ティーポットと焼き菓子の準備が整い、キッチンに二人で居座る理由が失われたなか、しばしの沈黙が並ぶ。まるで、それこそが片付けるべき食材であるかのように。
「バート、あのさ」
「ん?」
「オレは確かに、自分で今の結果を選んだよ。けど、組織のことを嫌に思ったわけじゃないし、同じようにシャルやバートを嫌いになったんじゃない。矛盾しているかもしれないけど、アイツのことを選んだだけで、それ以外はなにも。変わってない」
 ヴィダはバートにまっすぐ視線を向け、そう告げる。
「……ん。わかった」
 バートはヴィダの言葉に頷く。
 ヴィダがバートの様子を察したように、バートもまた、今のヴィダの言葉が嘘偽りないものであると受け止めたのだ。
「んじゃ、運ぼうぜ。お茶冷めちまう」
 バートが皿に並べた菓子を持とうとしたところで、ヴィダが彼を呼び止めた。
「あのさ、バート先にお茶持ってってよ」
「ええ? オレがあいつに紅茶煎れろって?」
 毒でも仕込んだらどうすんだと続けるバートに、ヴィダは口の端をつり上げて笑う。
「バートはそんなことしないでしょ。オレのこと好きなんだし」
「はあ!?」
「ほらいいから運んでよ。冷めるでしょ」
「お前なあ!」
 文句を言いながらも、彼はクリスの元へ紅茶を運び、丁寧なことに茶葉の説明やオススメの飲み方も伝えていた。仕事はきっちり片付ける性分なバートらしい。
 ヴィダはそんな彼らの様子を見守り、キッチンへ引っ込むと冷蔵庫からバナナとバニラアイスクリーム、使いかけのスポンジケーキにチョコレートソースと次から次へ取り出していく。
 スポンジケーキはサイコロ状に。バナナはボートのようにカットしてプラスチックカップにそれらを手際よく盛り付けていく。最後にチョコレートソースと七色のチョコレートをトッピングさっとかけて蓋をする。
 もう一度キッチンから様子を覗いてみれば、やはりというかなんというか、クリスとバートは想像よりもはやく和気藹々としていて、ヴィダは首をほぐすように回しながらため息を吐く。
 バートがどれだけ殺意を向けようと、一度クリスと話せばああなるだろうことはわかっていた。もとよりクリスは人当たりがよく、誰とでもにこやかに会話をこなす。バートは元々交流を楽しむタイプであり、何より自分を甘やかしてくれる年上に懐きやすい。会話のキッカケさえ与えてしまえば、実のところバートは自分以上にクリスを殺すことを躊躇うだろうと、度重なる逃亡シミュレーションを行う中で結果は出ていた。
 自分とクリスの逃亡が失敗する致命傷は、彼ではない。
「はあ……気が重いな」
 胸の淀みを言葉に乗せて吐き出すと、保冷バッグに出来上がったトライフルサンデーを二つ入れ、崩れないようにしっかりと保冷剤やタオルを挟んで固定する。どうせ居場所はバレているのだし、今さら痕跡が残るだとか情報が漏れるだなんてこと、気にする必要はない。……じゃっかん自棄になっている感は否めないか。いや、この場合は自棄ではなく、開き直りだ。うんそう。開き直り。
「バートこれ」
「おっせーなーと思ったらなんだよこれ」
「文句言うならあげない。せっかくシャルの分もおみやげ作ったのに」
 聞き慣れない名に、クリスが目線をあげたのを視界の端で捉えつつ、バートの眼前に掲げていたバッグをひょいと上にあげる。
「おみやげって何はいってんだよー」
「シャルも好きな甘いやつ。アイス入ってるし、崩れないように持ってってね」
「げー、それ崩したらアイツうるさいじゃん……」
「でもバートが好きな味で作ったし、バートだってかわいかったり、綺麗なお菓子好きでしょ」
「好きだけどぉ」
 ぷー、と頬を膨らませるバート。
 彼は見目麗しい菓子が好きだ。1ピースのケーキよりもホールケーキが好きで、一つの高級なチョコレートよりも机いっぱいに並ぶ色とりどりのカップケーキが好き。食べきれるかは度外視で、なんなら味も二の次。何よりテンションがどれだけ上がるかが最優先だ。
 なので片手間に食べるのであればジャンキーにスナック菓子が好きである。たくさん入っているし、手頃だし。
 詰まるところ、バートは憧れを大切にする性質なのだ。ステンドグラスクッキーや、誕生日ケーキのような。特別を感じさせる菓子に憧れを持っていて、故にもらえると大喜びする。自分で買って食べるのであれば大衆向けでみんなでわいわいとしながら食べられるものを好むという、そんな好きと好みが彼にはある。
「じゃ、シャルによろしくね。溶ける前に持ってって」
「うーす。んじゃ、お邪魔しました」
「お大事にね、バートくん」
「おーう。お前もな、家主。今朝みたく慣れない事して、骨折とかすんなよなー」
 手土産片手に玄関から出ていく姿は、つい先ほどまで刃物を片手に爆弾を送りつけてきていた人物とは思えなかった。
 律儀に礼をして出ていくバートにひらひらと手を振って見送ったクリスに、ヴィダはそれで、と声を掛ける。
「バートと随分仲良くなったみたいだけど」
「そ、そうかな? まだ全然信用されてないとおもうよ」
 頬を搔くクリスをじっと見上げ、ふいっと視線を外すとヴィダは重々しく口を開く。バートが此処に来た以上、言わなければならないことがあった。
「ここを突き止めたのは、バートじゃない。もう一人、仲がいいやつがいたんだ。次は……あいつが確実にやってくる」
「シャル……っていってた子?」
 クリスの言葉に頷く。
「あいつ、シャルロットは……たぶん本気で殺しにかかってくる。バートと違って遊んでくることはないし、バートと違って容赦がない。だから用心して」
「いつ来ると思う?」
「おそらく……一ヶ月以内に。バートが調子に乗って遊びに来る頻度が増えればもっと早く。あいつは誰よりも忙しいし用心深い性格ではあるけど、容認しがたいことが続けば誰より頭に血が上るのがはやいから」
 外は豪雪。雪解けは遠く、足先を針で突き刺すような寒さがドアの隙間から漏れている。
 その隙間から入り込むのが冷気だけであることを願いながら、ヴィダはクリスを伴ってリビングへ上がる。
 カッコウの巣へ帰るキセキレイの手に揺れる別の巣からの手土産。それを見て、フクロウは何を思うのか。