追記:4/8
一話分、サンプル掲載します!
もろもろのお知らせの後に載せますので、しばらくスクロールをお願いします。
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追記:3/23
したださんのところで通販開始してます!(いつも本当にありがとうございます!!)
https://shitadango.booth.pm/items/8121005
組織のことやクリスくん家のことが出てきたりするので、本編のあと最初に読むのにわかりやすくていいかも?なんてお話をしたださんとしておりましたので、今度からは次に読むのにおススメにしようかなと思います(笑)
次回の持ち込み予定は、
・2026/6/7 COMITIA156(受かれば)
・2026/10/18 関西コミティア77(受かれば)
です。
タイミングがあった時にお迎えいただけると嬉しいです~!!
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2026/2/22のCOMITIA155の新刊です
スペース:そ-56b
サークル名:おやつ日和
「ドーナツ列車とその尾を追う犬のワルツ」
文庫・164P 800円
クリスくんとヴィーくんが新しくできた商業施設でガラガラをやったら(当作品はわりとご都合主義なときがあります) 列車旅行チケットが当たった!
わーいやった!旅行いこう! ってうっきうきで二人で旅行しようとしていたのに、
いざ電車に乗り込んだら連続殺人事件に巻き込まれたお話。
今回たくさん挿絵を描いていただいていて、表紙もお写真風のも含めていーっぱい可愛い絵があってすごい、なんだろう、すご、すごい…ってしてます(すごい)
ヴィーくんの私服姿だったり、クリスくんが髪の毛を結っていたりっていう、いつもと違う姿なのも印象的でなによりむっちゃかわいい…。
遊び紙もクラシカルにしたので、雰囲気合うといいな~~と思ってます。
切符のデザインと表紙・裏表紙はしただ氏に相談しつつ私がやったので、お邪魔になってないかな~~ 大丈夫かな~~と不安になっておりますへへ…。
印刷所に頼んだ本以外に、シャルくんお誕生日おめでとうの本をコピ本で持ち込みます。
こちらはA5/正方形/100円で頒布予定です。
シャルくん…次のJ庭の新刊はいっきに傾向が変わるので、脳みそうまいこと切り替えていきたい!
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ここから本文サンプル
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その子犬の名前を君は知っているかい
その鈍色の車体が滑るように入ってきたとき、ホームの上でいまかいまかと待ちわびていた人々の合間から歓声が上がる。
「待ちくたびれたわ」
肩を竦めうんざりといった格好をするマダムがいた。彼女はパートナーにたしなめられるように抱き寄せられていたが、口調とは裏腹にその目はこれからの心躍る体験に期待を込めているのが見て取れるし、カメラが恋人といった様相の男性はその痩身の体いっぱいで喜びを表していた。ビジネス目的だろうか、くたびれた様でホームに座り込んでいた男性ですらちらりと上げた目線は輝きを取り戻していたし、親元を離れたてといった様子の学生は落ち着きなく携帯端末を自らと電車へ向けていた。
賑わうホームの上を、クリスとヴィダは各々の荷物を引きながら歩く。
手元のチケットが指し示す乗車口はまだまだ先のようで、クリスは口を開けた入り口を見つける度にチケットを見て、その度に「まだまだ先だ」とぼやいて進んでいく。
ヴィダはというと着慣れない服装に落ち着きのない思いを抱きながらも、順番通りに並んでいるのだからそれはまだまだ先だろうにと思いつつ、何も口に出さずにクリスの後をついていく。
そもそも、チケットに書かれている席は先頭車両なのだ。見るまでもなくまだまだ先に決まっている。それでもいちいち確認して、いちいち違うと口にするクリスの素直な反応が楽しいので何も言わずについていくのだ。
混雑している中ではぐれないようにと、頻繁に振り返ってはヴィダを探す姿も可愛らしいので、もしヴィダがはぐれた素振りを見せたらクリスはどう取り乱すのだろうと水差しを片手に笑う心の中の悪魔を窘める。
ちょっとしたイタズラで万が一乗り遅れてしまったら、笑うこともできない。
「あ、あったあった。ここだよヴィーくん」
クリスの手元にあるチケットを覗き込み、念のために確認する。あらかじめ調べていたし、間違いはないと思うがヴィダは己を過信しない。100%合っていることは、最終確認することで100%になる。どれほど間違いのないことだと思うものであれ、確認を怠れば、怠った瞬間にどこからか忍び込んだ妖精が靴紐をほどいてくるものだ。
「うん、合ってるね」
自身の目でチケットを確認してから、クリスの朝焼けを思わせるロゼ色の瞳を見上げる。
「どうする? もう乗る? 」
駅は一通り見て回っているものの、まだ見たいものがあるのであれば今だろう。帰りは飛行機の予定なので、もうこの駅には戻ってこない。探検できるほど時間はないが、出発するまでにカフェラテの一つぐらいは手にすることが出来るだろう。旅の始まりをよりよいものにする為に嗅ぎ慣れたコーヒーの香りが必要なのであれば、戻るのも吝かではない。
「乗っちゃおうか。少し早いけど、慌てるよりいいよ」
ヴィダもクリスの言葉に同意し、二人で列車へ乗り込む。
車内へ足を踏み入れると、干された草と鼻の奥をまっすぐに鉄の板が通っていくような香りにもてなされた。入ってすぐ案内板があり、クリスは自分たちの客室の場所を簡単に確かめる。その先には人と荷が一列になって通るのに少しばかり余裕のある通路があり、混雑時には往来が面倒だろうなとヴィダは感じた。
左右には客室があり、前を通り過ぎるとすでに人の気配が感じられる部屋もあった。
「ここみたい」
クリスが声を上げ、部屋の横にある認証装置へカードキーを翳す。車体は古いのに、セキュリティは新しいようだ。横に開いたドアの内側は思っていたより広く、大きな窓に面して座席が並んでいた。理屈はわからないが、眠る前にはこの座席がベッドに変貌するのだとか。
手荷物をしまうと、さっそく室内を確かめる。
カーテンや座席のクッションの下。あらゆるところを確認するヴィダを見ながら、クリスは近場にあった車内案内を眺めては「わあ、飲み物とか軽食はいつでも食べていいんだって」とのんきな声をあげていた。
一通り確かめると、ヴィダは座席に腰掛けてクリスにも隣に座るよう椅子を叩いて促す。
「出発するまでは座っていよう」
「うん」
ばふんと座り、クリスはヴィダにも車内案内を見えるように広げ、「ほら見てみて、いろんなものがあるみたいだよ」と言う。
「ほんとだ」
「二回目の夕食のあと手品だって。見に行ってみる? 」
「いいよ。じゃあ、昼も遅めの回にしよっか」
「そうだね、そうしよう。ヴィーくんはお腹空いてない? 」
「うん。大丈夫」
はしゃぐクリスの横顔を見ながら、ヴィダも自身がわくわくと浮ついた心地であることを自覚する。
長距離列車に乗るのは初めてではないし、今回のような個室も、寝台車も、もちろん一般車両だってヴィダは経験がある。
『組織』のメンバーの中でも、ヴィダは好んで各支部を飛び回っていた。それが手っ取り早く経験と実績を積むことができたし、ヴィダの目的を叶えるに適していると考えていたからだ。……もちろん、年頃なので初めて乗るものに全く興奮を覚えなかったといえば嘘になるが、かといって浮かれた心地でいられるような業務内容ではないので、楽しんでばかりもいられない。だからこそ、純粋に楽しめる今日は浮ついてしまうのだ。
本当にそれだけ?
自らの浮き足だった心に問いかける。
自然と足が揺れていた。
その靴も、ズボンも。身に付けているもの全てが普段の装いと違う。
窓に映る姿はどこにでもいる、列車旅を楽しみにしている少年でしかない。
「ヴィーくん、その格好似合うね」
「ちょっと落ち着かない」
わざとらしく足をぱたぱたと動かせば、クリスは苦笑してそっと膝を押さえてくる。
着ている服も靴も、すべてクリスが今日の為に購入したものだ。それ故に肌に触れる布の心地ひとつとっても馴染みがない。
何せクリスは世間を知らない。彼が知っている店で服を購入したということは、ヴィダの知らない店で服を購入したということなのだ。端的にいえば落ち着かない上等なものを常から身に付ける経験をもちあわせていないヴィダにとって、旅行という非日常を味わうのにこれ以上の服装はない。
非日常。そう、この旅を行うきっかけ自体が突拍子のない出来事だった。
――その日の二人は、新しく出来たショッピングモールへ出掛けていた。
オープン記念に一定金額買い物をすると券がもらえて、その券でガラガラくじを行うというイベントが開催されていると至る所で宣伝されている。特賞はペアの列車旅。
「ねえねえ、長距離列車旅のチケットだって」
「当たらないよ。ああいうのは元から入ってないんだから。ティッシュかお菓子が関の山でしょ」
「そうかなー。でも洗剤あると便利じゃない?」
「……じゃあ、一回やってきたら」
「わーい! ありがとうヴィーくん。なに買おうか?」
クリスがどうにもやりたそうだったので、店を回ってくじ一回分の買い物をする。長蛇の列を並んで並んで。ようやく順番が回ってきた。
「一回分です。お願いします」
「おー、兄ちゃん頑張れよー」
どうせアタリなんて入っていないのにと思いながら、腕まくりして仕掛けを回すクリスをヴィダは見守る。じゃらじゃらと機器の中で重たそうに幾つもの玉が回る音がする。ゆったりと機器がまわり、からんと玉が一つ出てくる。その結果は。
「お、おおおおおアタリ~~!」
ガランガランと打ち鳴らされるベル。響くブーイングと喝采。当てた本人は間の抜けた表情を浮かべながら、困ったように頬を搔いていた。片手は受付をしていた豪快そうな店員にぶんぶんと握手され、背はばしばしと勢いよく叩かれながら。
「おめでとうございまーす!」
諸々の手続きが書かれた用紙を渡され、威勢良く外へ送り出されたクリスはすっかりよれよれになっていた。
「おかえり。すごいね」
「う、うん。ありがと。実感ないけど……」
クリスが手にしていた紙を取り上げ、ざっと目を通す。
搭乗券は後日郵送で届くこと、帰りのチケットは無いので帰路は自分達で用意すること、出発は隣国の駅のため、自分の足で来ることなどなど。
注意事項を眺め、必要な手続きと準備を考えながらヴィダは頭の中でこなすべきタスクを並べていく。
当たっておいて文句をいうのもなんだが、行くにあたってなかなかハードルが高いように思う。名の知れた長距離列車に乗れるのはよいことではあるが。
「……ヴィーくん? 聞いてる?」
「あ。ごめん。考え事してた。なに?」
「ヴィーくんのお仕事の予定、どうかなって」
「今のとこ大丈夫だけど……ちょっと連絡する。待ってて」
突発的に予定を押さえられても困ると、シャルロットにメッセージを送る。ついでに本日の報告も済ませてしまおうと、待ちぼうけしているクリスの横顔を遠巻きに撮影し、上司である組織のボスへ写真とメッセージを送る。
『今日は新しいショッピングモールへ来ました。クリスが特賞で旅行を当てたので行ってきます。該当期間は勤務不可のため、シャルロットへ予定を共有しました』
返事はすぐに来た。
『知ってるよ。入ってもないアタリをよく出したね』
ちらりと周囲を見渡すが、知った顔もいないし視線も感じない。ボス付きの二人であるどちらかか、或いはそれだけの技量の卒業生が見張っているのだろう。クリスが監視されているのは常であるし、こうして見たところでわからないのであれば気にしていたって仕方がないと端末を懐へ仕舞い、クリスの元へ戻る。
アタリはやはり入っていないものだという考えを、自らの尊敬してやまないボスが持ち合わせていたことにちょっとだけ親しさを覚えつつ、遠目から改めて抽選会場を見遣る。特賞が当たってしまったので解散したかと思えば、まだまだ人々は並んでいた。むしろ、クリスがアタリを引き当ててからは更に混雑しているように見える。
「まだ一等も二等も出ていないしね」
ヴィダの訝しい視線に気がついたのか、クリスが呟くように言う。
確かに、残っている上位賞は列車旅行ほどではないが有名テーマパークの入場券や高額な金券、有名店のスコーン一年分毎月発送など、魅力的な品が多い。
「……三等も、一個しか出てないね」
「そうみたい」
なるほど、カラクリは読めた。
察するに、特賞が入っていたことが証明されたので、それならば上位賞は確かに入っている。それに、特賞よりも量が多いはずだと期待した人が増えたのだろう。こうして見ている間にも列が伸びていく。ひょっとしたら自分も、という期待値を持たせるのに、これほど高い効果もないだろう。
ちなみに特賞は一組二名様まで、と記載されているが、それ以外の賞がどれほど入っているかは明記されていない。参加賞として山のようなティッシュや菓子の詰まった袋を抱えて歩く人を見送りながら、ヴィダは話題を変えることにする。クリスの好きなドーナツ屋に行くことを提案するか、手作りキャンドル体験でも行かせるか。そんな、なんだって構わないという心が表れたのか、どれも舌の奥で留まってしまって結ばれず、結局無難な言葉を口にする。
「もう少しお店見る? 旅行いくんだし、何か見てもいいけど」
ヴィダの言葉にクリスがぱっと顔を上げ、にこっと笑う。「いいね、買い物しよっか」と言うや否や、ヴィダの手を引いてどこかに向かって歩き出す。
「え? どこ行きたいの」
「旅行いくんだし、お洋服買ってあげたいなって思ってさ。メイド服のヴィーくんもとっても可愛いけど、たまには違う格好も見てみたいなって」
「まあ、旅行なら私服着ていくつもりだったけど……」
あくまでメイド服は仕事着なのであって、ヴィダの趣味ではない。他者へ説明するときは面倒なので趣味と口にすることもあるが、目立たないようにと私服を身に付けて出掛けるときだってある。
「だからってわざわざ買わなくても」
「ううん、僕が買いたいんだ」
普段よりも強引な調子で言われてしまい、ヴィダは口をへの字に曲げてそっぽを向く。
頬の熱が店に着くより前に引くといいけど、と考えながらクリスの後をついていくヴィダの目に、とある集団が目に留まった。
「わあ、踊り上手だねえ」
「最近ああいうのよく見るよね」
「そうなんだ?」
「うん」
フロアの吹き抜けにあたる、少々開けた場所で数人の少女が携帯端末で撮影しながら踊っていた。足早にその後ろを通り抜ける人や興味深げに遠くから撮影している人など、そこ
一帯だけ人の動きが読み辛い。
「はぐれないようにね」
ぎゅっと繋いでいた手を引かれ、恥ずかしく思いながらもしっかりと握り返す。やがて人波が引き、あまり混雑していないフロアへ辿り着いた。
「あ、あったあった。ここ入ろう」
「……ここ?」
「うん」
クリスはにこにこと、誰しもが名だけは知っている高級店へ入っていく。ヴィダはすっかり熱も引いて、緊張した面持ちで覚悟を決める。自分の身の丈に合う服なんて無いように思うし、売ってないですの一言で帰れるだろうとそのときは考えていた。
…………………………
………………
「ありがとうございました。よき一日を」
店員の見送りを受け、店を後にする頃にはすっかり日が暮れていた。天井付近が硝子張りとなっているショッピングモール、その高級店エリアは、品を大切にしているのか他のフロアと比べて明かりが控えめに灯っていて、どこからともなくフレグランスのいい香りが漂っている。ショッピングモールらしからぬ喧噪の遠さも相俟って、ヴィダは今日一日何をしに此処へ来たのかとしばし思い起こして遠い目をしていた。
「旅行までには届くみたいでよかった」
「……うん。ねえ、いくら使ったの?」
「え? うーん、お洋服買うときってそのぐらいかなって値段だよ」
「……そう……」
ただの布なのに、と口に出しかけたのをえいやと飲み込む。
いけないいけない。物の価値はその人が見いだすものだ。ましてや、他者が自身を思って付けた値に対して文句など。
そうして家に届いてからは一度体に当てただけで、実際に着るのは今日が初めてであった。
いつも通り早朝に目を覚まし、ぴかぴかの洋服に袖を通したあたりからずっと身長が伸びたような感覚だ。新聞配達に毎朝やって来る少年に『かっこいいです!』と褒められたのも照れくさかった。しばらく留守にすることと、その間の新聞は入れておいてもらうよう伝えると彼は頷き、元気よく相棒の犬と走り去っていった。
戸締まりは昨夜確認したが、クリスが起きてくる前にもう一度確認して回る。シャルロットとバートが使用している三階も含め、しばらく家を空けても大丈夫か一つ一つ確認していく。
冷蔵庫からリンゴンベリージャムを添えたマッシュポテトと畳んだ生ハム、ミックスベジタブルを乗せた紙皿を取り出し、トースターで温めたパンと並べる。今日は洗い物を極力減らそうと、前日から準備していた。もちろん、今日までに冷蔵庫の中身は日持ちする調味料以外は空にしてある。
「おはよーヴィーくん。わあ、とっても似合うね! 格好いいよ」
起きてきたクリスがにっこりと笑い、嬉しそうに声を弾ませる。
「……なんであんたがそんなに嬉しそうなの……」
「え、だってヴィーくんが新しい服着てたり、格好よかったり可愛かったりしたら嬉しいじゃない」
「知らないよ。ほら、時間ないんだから早く食べよ」
席へ座るようクリスを追い立て、二人で朝食を摂る。今日の移動経路を説明し、最後にもう一度戸締まりを確認してから二人は家を出た。
そして今に至る。
「出発するみたい」
「ん」
けたたましいベルの音が響き、ゆっくりとホームから列車が離れていく。
駅の中からビルの立ち並ぶ合間を抜けて。窓の外を流れていく景色がみるみる加速し、都市部を抜けて緑が一面に広がる、なだらかな丘陵地帯を電車は進んでいく。
「さっきまでビルがあんなにいっぱいあったのにね」
「そうだね。この先は電波が入りにくい場所になっていくかも。……っていっても、あんたの場合はそんなに困らないか」
「あはは、うん。バートくんはゲーム出来ないーって文句言うかもしれないけど」
「そうそう。いつも電波入らないとうるさいんだよあいつ」
ついついバートやシャルロットといる時の感覚で話してしまった。
移動中や待機時間は携帯端末でゲームをやりたがるバートは、電波が入らなくなるとすぐに文句を言う。ヴィダたち組織が相手取るターゲットは名の知れた金持ちや権力者だ。そんな彼らが都心部ばかりにいるかと言われればそうでもなく、なんなら喧噪を嫌って郊外に構えた別邸にいることが多い。ひとたびネットワークに繋がれば何が漏れ出すかもわからないのだしと、不便を楽しむ者も多い。
もちろん絵に描いたようなタワーマンション暮らしを楽しむ金持ちだっているし、名の知れたセレブ街に広大な邸宅を構えているものだっているが、庶民が憧れるような光景を生まれながらに見慣れている彼らはさらなる未知を求めてあちらこちらをうろついている。誰でも歩けるような都会で、誰からも名の知れたブランド品を身に纏い歩くよりも、深海や高山、空の彼方へ思いを馳せているようなロマンチストもそれなりの数がいる。
ヴィダは隣のクリスへ視線を向けた。
窓の外を見てはしゃぐ彼は、いつだって純粋に世界を楽しんでいるように見える。
うつろう四季の変化を尊び、流れる雲と、その合間に見える空を眺めては何かに焦がれるように目を細める。草むらで四つ葉のクローバーを真剣に探し、新しいドーナツ屋を見かけてはおおはしゃぎで並んで、両手いっぱいに買ってくる。
そんな彼と出会った屋敷も、郊外にあった。
深い針葉樹に包まれた山の中にある、不自然なほど豪奢な屋敷。明かりはランプや蝋燭のものばかり。住まうは魔女か吸血鬼か、はたまた狼男か。お伽噺の題材には事欠かないだろう出で立ちのあの屋敷に向かうには、招かれた客が、指定された場所で指定された馬車に乗るしかない。選び抜かれ監視された御者のみが道を知らされており、親族の者ですら目も耳も覆われて連れられる本家がどこにあるか理解していないのだ。
驚いたことにクリスは、その学生生活を件の屋敷から毎日市街地へ運ばれて通学していたとのことで、その通学経路を彼から聞いた時、ヴィダは軽い目眩を起こしそうになったほどだ。
ラッセル家を狙う者は世界中に存在していた。
力のある者も、無力な者も。個人でも、団体でも。
それでも敵わないからヴィダらの組織にあらゆる界隈の有力者が集団で依頼してきたのだ。ボス直属の依頼として指令が降りた時に聞いたのは、『今を逃したら次はない』。
故に任にあたったメンバーはごく少数で、それこそ全力を賭して準備を行った。彼らの住まう屋敷を調べるのだって大変だったのだ。それが、いざ当事者のクリスに聞いてみれば普通に通学していたというのだから。目眩だって覚えるものだろう。
彼は今もたいして素性を隠さずに過ごしているが、その頃も素性を隠さずに通学し、許される範囲で街を歩き、日々を過ごしていたという。
当然ながら周囲は彼がどんな家柄かを知っており、襲撃しようと思えば容易かったように思うが……。それほどにあの家が強大で、畏怖されていたということなのだろうか。少なくともヴィダがまだ普通の家庭で過ごしていた頃に、ラッセル家という名を聞く機会はなかったように思う。親は知っていたのかもしれないが。
こうして振り返っても、クリスはヴィダにとって異質であり、未知だ。
彼の日常はヴィダが過ごすものとは違ったものであり、こうして同じものを見ていたとしても、その胸に抱くものは異なる。
彼はいつだって、世界を美しいものだと捉えている。
日常を尊び、何にだって憧れを抱いては夢を見るように過ごす。それはクリスにとって世界は諦めたものであって、様々な奸計が巡るものであって。生きていくことが難しいものであるからだ。故に彼は全てを輝かしい思いで捉えている。生まれ落ちたばかりの赤子のように、不自由を、未知を尊び、楽しんでいる。
ヴィダは今がこれまでの人生で一番楽しいと感じていた。隣でなにもかもを楽しんでいる人間がいて、せわしなく片付けるべきタスクがあって、仕事を嫌に感じることも、仲間内との面倒な喧嘩も増えたけれど、それを含めて今という日常が楽しいと感じていた。
いつか、この日々を代わり映えのないものとして楽しめなくなる日が来るのだろうか。
窓の外を流れる景色は、しばらく同じような景色を映していた。クリスは飽くことなく見ているように思うが、ヴィダは少々飽きを感じ始めていた。
この列車は三泊四日で走り続ける。
途中、燃料補給等で小さな駅に止まる予定はあるがどこも無人駅であり、たとえば煙草を吸いに外へ出るくらいは出来ても何かを購入しに降りたり、付近を見て回るようなことはできない。基本的にはずっと列車の中で過ごす。
だからこそ列車の中では様々なアクティビティや交流会、パフォーマーによる出し物が行われるわけだが、率先して他者との交流を楽しむほうではないヴィダからすると、多少の飽きを抱く。
ぷらぷらと所在なげに足を揺らしていると、窓の外に視線を向けていたクリスが振り向いた。
「そうだヴィーくん。軽食もらいに行ってみよっか。展望デッキの場所とか、夕食の場所とか見にいこうよ」
「ん」
なんだ、クリスも飽きていたのかと立ち上がるヴィダは、そんな彼を苦笑して見るクリスに気がついていない。
「どこから行く?」
「うーん、まずは展望デッキ見てみようか」
列車の案内図を見ながら、まずは展望デッキへ向かう。
そこは二階建てのようになっていて、小さな階段を上ると屋根が硝子張りになっている車両へ出た。
「すごいねー、夜も綺麗だろうなあ」
「そうだね。……?」
「わっと」
ぐい、とヴィダが思い切りクリスを後ろへ引っ張る。そのすぐ後から、わざわざ近くの人を押しのけるようにしながら、大きな声で独り言を話す男がやってきた。
「はーい! ここが展望台! でっす! いやーすごいですねー人がいっぱいいますよ。みなさん何しているんでしょうねー? 暇ですかー?」
車両中に響くような大声で、男は大仰な動作をしながら歩いていく。付近の客が迷惑そうに男へ視線を向けたり、鼻を鳴らして新聞を持ち直す。そんな乗客へ、男は手にした棒の先につけた携帯端末を向け、にやにやとした表情を浮かべていた。
「辛気くっさ! やーだやだこんなトコいたらジジくさくなりそう! 次いきましょー次! さっきの手品師もインチキばればれだし、バーの接客はクソ。人気列車って聞いてましたけど、さーてはやらせですかねー? こーれーは。検証してクレーム言ってやんないとですね!トイレもちょっと叩いたら……」
入ってきた時と同じように、男は携帯端末へ向けて大声で喋りかけながら出ていった。出ていくときも付近に立っていた人をわざわざ手で押しのけていく。
うまいことヴィダによって隙間へ押し込まれたが為に撮影範囲にも映らず、男の視界に留まることもなかったクリスは、いったいなんだったんだろうと首を傾げる。
「ずっと一人で喋ってたね」
「動画撮影でしょ。この辺の国の人じゃないし」
「最近は自分で動画撮影して、公開できるんだってね。格好良い人だったし、人気ありそう。そうそう、バートくんがこの間、そういう動画がいっぱい載ってるサイト見せてくれたんだ」
「え、どんなの見たの?」
「うーんと羊の毛刈りコンテストと、わんちゃんのアジリティ大会に……ビー玉を転がして、色んな仕掛けを通る度に音が鳴るやつを見たかなぁ」
クリスの言葉にほっとする。できる限り彼に凄惨なニュースや事件、世に蔓延る悪質なデマなど、過激な情報を与えたくない。ただでさえ彼の家が潰れたことで気にかかることが多く、新聞から関連した事案の紙面を抜いているというのに。
何より彼の、なんでも吸収してしまう性質が問題だ。クリス自身がなんにでも流されやすい、信じやすいということではないのだが、彼に知識として悪いものを与えすぎるのはなんというか……よくない。危険だと感じる。根拠はないのだが。
帰ったらバートに注意しておかないと、と悶々と考え込むヴィダに、涼やかな声が掛けられた。
「よければあなたたち、お隣いかが?」
上品に微笑む老婆が、本を片手にウインクしてくる。
「ようやくうるさいのがいなくなったのだし、暇を持て余したこの辛気くさい婆の相手をしてくれないかしら」
「あ、えっと……」
「失礼しましたマダム。慣れていないもので」
会釈をするクリスに、老婆は唇の端を上げて笑う。
「あら、そうかしら。まあ掛けなさいな。とって食いやしないから。私はグレイスよ、かわいいお二方。ほら、これ食べてみて。美味しいのよ。私のお気に入りの茶菓子を持ってきたのだけれど、旦那はバーで酒浸りだし、一人で食べるのもね」
箱を開け、口にするよう差し出す。
仕方なしに老婆の座る席へ腰掛けると、クリスが口にするより先にヴィダが菓子に手を伸ばして、口へ運んだ。
「とても美味しいです」
「でしょう? ほらあなたも。毒なんて入ってないわよ」
「はは。マダムは随分、慣れていらっしゃるようだ」
「ふふ。長く生きているのだもの。あなた達よりは慣れているわよ。色々ね」
二人の会話を耳にしながら、ヴィダは注意深く周囲に気を配る。クリスと老婆のやりとりを聞いている者がいる。本を読みながら。天井を見上げながら。酒を口に注ぎながら。給仕をしながら。見て。聞いて。意識を配る者たちがいる。
「もうラウンジには行った?」
「いえ、まだです。先ほどまで客室にいたので、これから列車内を探索しに行くところでした」
「そう。先ほどの男の言葉ではないけど、確かに今日のパフォーマーは少し質が悪いのよ。自分の指を隠そうとして、うっかり骨を砕いちゃうくらいね。少しの粗相は見逃してあげて。その代わり、今夜の歌はすばらしいものが聞けると思うわ。是非、夕食時を楽しみになさいな」
「はい、ありがとうございますマダム。お菓子も、ごちそうさまでした」
「次は静かなときにこちらへいらして。じゃないと、また私のような婆につかまりますから。ではよい旅を。バーにはまだうちの旦那がいるでしょうから、最後に見に行くといいわ。食堂車にも飲み物や軽食がありますからね」
「はい、ご親切にありがとうございます。……ところでマダム、こちらの菓子はどちらで?とても美味しかったので、僕たちも行ってみたいと思いまして。甘いものに目がないんですよ」
クリスがいたずらっぽく尋ねると、老婆は目をまあるくした後、ふっと柔らかく微笑む。
「では名刺を差し上げるわ。ぜひ行ってみて」
老婆は一枚の名刺を取り出し、クリスへと渡す。名刺は凝った装飾のないシンプルなもので、店名と住所がセルリアンブルーのインクで記載されていた。印字ではない。整った字ではあるが、書体の一部に掠れた痕や癖が見てとれる。
名刺の裏を確かめた折り、ふわりと華やかな香りが名刺から立ち上り、鼻先を掠めた。
「マグノリアですね」
「お詳しいのね。ええ、そこの店主が好きな花なのよ」
名刺をしまい、一礼して席を立つ。ヴィダもその後に続いた。
二人が展望車を後にしたあと、老婆は再び本を開き、目を落とす。去った二人を見送ることなく、周囲に目を向けることもなく。
展望車では元の通り、思い思いの時間を人々が過ごす。列車は間もなく、山間に差し掛かろうとしていた。
…………………………
………………
「夕飯、美味しかったねーヴィーくん」
「うん、美味しかった」
「歌とバイオリンの演奏もよかったね」
「うん。なんか小さい子扱いされた気がしたけど」
「あはは。ヴィーくん、小さい子に囲まれててお兄さんって感じしたよ」
「ああいうのはバートやシャルのが得意なんだよ。オレ、童謡とか昔話とか詳しくないし……そもそも子供の面倒見るの、得意じゃないし」
組織の中には小さい子がいっぱい居て、そんな子達の教育や面倒を見る仕事もある。が、ヴィダはどうにも向いておらず、戦闘成績がよいこともあって積極的に業務内容を偏らせていた。
バートは面倒見もノリもよく、シャルロットは医師としての業務を行う傍ら子供を相手にすることが多い。
ヴィダも知識としてはおむつの取り替え方や沐浴の方法など知っているが、実際にやってみると相手が大泣きしてしまい、そのままならなさにヴィダも苛立って……となってしまうのだ。
将来的にどんな家に迎えられるかわからないが、幼い子の居る家だけは嫌だと考えていた時期もあったぐらいには、ヴィダにとって子供は苦手なものだという意識が根付いていた。
まあ、結果として今があり、杞憂で済んだのは助かった。
(クリスがたまーに、仕事で赤ん坊預かることがあるのは困るけど……)
二人で客室まで戻ってきた頃、ヴィダはクリスに声をかける。
「先にシャワー入ってて。ジュースもらってくるから」
「そう? 一緒に行かなくていい?」
「戻ってきたらオレもシャワー入るから。先に入って」
「はーい」
扉を閉め、ヴィダは短く息を吐くとバーの方向へ進む。バーの中に客はいなかった。夕食前に覗いたときにはオーウェンという男(泥酔しているのか大声で名を口にしていた)が酒を飲みながら延々とバーテンダーにくだを巻いていたが、そんな彼もいない。
室内を眺めながら軽食のナッツやチョコレートを補充している客室乗務員をみとめると、ヴィダは声をかけた。
「ねえ、今日は何してるの」
「……驚いた。接触してくるとは思わなかったよ」
展望車で飲み物を注いだり軽食の配膳をしながら、彼が時折クリスの様子を伺っていたことにヴィダは気がついていた。振る舞いをみるに、クラスでいえばシャルロットよりも下。精々DかEのランクであろう彼は、間違いなくヴィダらの組織の一員だ。それも卒業生ではなく、現役の。
「バレバレだよ。あんなに見られたら誰でも気付く」
「そうかなぁ。アンタや卒業生が化け物なだけだよ。今んとこ仕事しくじったことないしね」
「その過信が気に食わない。なに。喧嘩売りにきたの?」
「わー! 違うって! たまたま。オレだってびっくりしてるんだ。あの伝説のAと鉢合わせると思わないじゃん。そうじゃなくてもこの列車、やけに有名人乗ってるしさー……なんなんだよもーって頭抱えてたの!」
ヴィダの雰囲気が剣呑なものに変わったことに怯え、名も知れぬ同僚か後輩が慌てる。
年はヴィダより少し上か。顔つきは精悍で、制服越しに伺える体もしっかりとしている。年齢からして程なく卒業を迎える頃合いだろうが、おそらく何処かの軍か警察にでも入るのだろうなとヴィダは思う。もしくは、この雰囲気であればどこぞのご婦人から身請け要請が出ているかもしれない。組織の顧客は表側も裏側も、男女問わずいるのだ。
そんなことを考えていると、彼はヴィダにひそ、と声を低くして話しかけてくる。
「あのさー、アンタの横に居たヤツってさ。探偵だったりする?」
「なんで」
「漫画で見る探偵ってあんな感じじゃん。うさんくさいやつ」
「あーまあ……。探偵ではないけど、依頼を受けたら大体なんでもやるかな。頭はいいと思うよ」
「だよなー。なんかそんな気がした」
腕を組み、うんうんと頷く彼は、ぱんっと手を合わせると深く頭を下げて頼み込む。
「頼む! オレだってバレないようにしてくれ!」
「はあ?」
「頼むよー。痕跡残すつもりはないけど、アイツが探偵役をやったらバレるかもしんないじゃん? ターゲットは一人だけだし、この列車も目的地まで無事に行く予定だからさ! 迷惑はかけないから!」
「同じ列車で殺人が起きるってだけで迷惑なんだけど」
「そこはまあ、ほら、な? 世界のどこかではこうしている今も人が死んでいく……って言うし。な? な?」
最近やったゲームでこんな頼み方をしてくる盗賊がいたなあと思いながら、ヴィダは渋い顔で頷く。
乗り合わせが悪かった。まさか旅行先で仕事に巻き込まれるだなんて。
一瞬、上司の差し金かと思うも彼にはどの列車に乗るかは伝えていない。監視づてにバレている可能性はあるが、自分とクリスを狙った場合に卒業生以外を送り込んでくるとは思えなかった。少なく見積もっても、単純な相対であればヴィダは一人でこの列車を制圧できるだろうと考えている。それに、何かの依頼があってクリスとヴィダを始末する予定が出来たとして、わざわざこの休暇を狙うメリットは少ない。
いくらヴィダの動きが制限できるといっても、これだけの一般客(それも金持ちばかりの)を乗せた列車で大立ち回りを演じる必要はない。それこそ、ヴィダとクリスの二人を葬る様を劇的なものとして見たいという顧客の要望でも無い限り。
「今夜、ボルドー家の犬を一匹。それだけだ。終わったらそれきり。列車は終点まで走りきる」
「警察は?」
「終点までは来ない。遅延は許されないだろうな。乗ってるやつらがやつらだ。なにより……こんな山奥じゃあね」
列車は既に都心部を大きく離れている。
本来であればそんな大事があれば、次の停車駅で列車を止め、警察の到着を待つのが筋だろう。
しかしこの路線は、この長距離列車しか走らない。それでも十分な採算が取れるようなサービスを用意し、その分コストを積み、払える人間ばかりが乗車する。
もちろんグレードが低い車両にはサービスを落とし、学生でも乗れるような車両も一部あるが……ともかくここは単線であり、頻繁に代わりの列車が走るような路線ではないのだ。
金に困らない人々が惜しむのは時間だ。
であれば、人が一人亡くなった程度で彼らは遅延を許さないだろう。
どうせ終点に到着すれば警察がやってくるのだし、辺境の地で何時間も列車を停滞させてまでやることではないと言われるのがオチだ。
「方法は?」
「心筋梗塞に見せかける。派手にはやんないさ」
「わかった。ドジってもいいけど、頼らないでね。こっちはオフで来てるんだし。その代わり、うちの名探偵はポンコツにしておくから」
「名探偵なのかよ! そりゃ困ったな。どうにか動かないようにしといてくれ」
悲鳴のような声を上げると、ヴィダの手にざらざらと袋の中身を開ける。銀紙できゅっと包まれたチョコレートトリュフだった。
「じゃ、今からアンタとオレは他人だ。お飲み物は?」
「オレンジジュースと、ジンジャーエール。瓶で」
「畏まりました。少々お待ちください」
チップを渡し、ヴィダはジュースを手に部屋へ戻る。そこには上半身裸で頭を拭いていたクリスがいて、反射的に驚いた声を上げてしまった。
「わ、ごめんヴィーくん」
「……いつも服着てから出てくるから、びっくりした」
「ごめーん。僕もパジャマ持っていくの忘れててー!」
旅行に普段の寝間着を持っていくのも嵩張る、という理由で持たせなかったのだが、慣れないことをさせると驚いたことが起こるものだと、ヴィダは落ち着かない心地のまま、 クリスの着替えを手伝う。頭も乾かし、ベッドに様変わりしていたソファへ座らせると自身もシャワーを浴びに浴室へ入る。
浴室を出たあと、元の服に着替えるか、寝間着になるかしばし悩んで寝間着を選ぶ。あくまで今日は旅行であり、今夜事件が起こるとわかっていても普段通りに過ごすべきだと考えたからだ。何より、クリスに気取らせてはいけない。
「はいジュース。チョコも貰ってきた」
「ありがとう。外は真っ暗だね」
「うん。テレビもないし、早く寝よっか」
「そうだね。そうそう、明日の朝なんだけどね……」
会話が弾む。
夜が更けていく。
「――ってことで、この期間は開いてないんだって。だから此処行かない?」
「うん、楽しみ。おみやげ買っていこう」
「そうだね。バートくんたち、何がいいかな」
「ボスにもだよ」
「う。買わなきゃだめかなぁ……」
「そうだよ。ボスかわいそうだよ」
嫌そうな表情を浮かべるクリスの頬を指でつつき、肩に頭を乗せる。少しの間が空いて、甘酸っぱい沈黙が部屋に訪れる。
「外見えなくて、退屈だね」
「お話、楽しいよ」
「うん。でもさ……」
身を起こしたヴィダと、クリスの視線が合う。
夜は更けていく。
電車は滑るように線路の上を進み、多くの乗客は夢の中を楽しんでいた。
そして朝。
朝食にオムレツを頼み、サンドイッチと口に運んでいた二人の耳にも喧噪が届く。客室乗務員たちが集まり、なにごとかを口々に言い合い、慌ただしくどこかへ去っていく。代わりに真っ青な顔を浮かべた乗務員が呆然とした様子で戻ってきた。
「賑やかだね」
「うん。忙しそうだし、食べたら部屋戻ろう」
「うん」
あと一口で食事を終える、といったところで、クリスに声が掛けられた。
「お食事中に申し訳ございません。その、失礼ですがお医者様を探しておりまして……。警察に関係する方でも助かるのですが、お心当たりはございませんか?」
「いえ……。申し訳ございません」
「そうですか……。大変申し訳ございません。失礼いたします」
肩を落とした男性は、憔悴しきった様子で他の客にも声を掛けていくが結果は芳しくないようだ。
「誰か倒れちゃったのかな」
「そうかも。病院もこの付近にはないし」
「お家も見ないもんね」
こうして走り続ける車窓の向こうでは、いっこうに家屋を見ない。広大な草原の合間にぽつんと立つ家を見かけることもあるが、たとえ今電車を止めたとして、そこまで病人を運ぶことはできないだろう。通報したとして、救急車が来るまでにどれほどかかるか。
食事を終え、部屋へ戻る途中に何やら大声で言い合いが起こっている現場に立ち会った。
「だーかーらー! 動画を撮るだけですって!」
「お願いですからお控えください。人が倒れているんです。遊びじゃないんです」
「こっちだって仕事ですよお! 人が倒れてる? なら現場保全のためにも動画を記録は残すべきでは?」
客室乗務員四人がかりで、部屋へ押し入ろうとしている男をなんとか止めているようだ。
「まーたやってるよ。あの男、動画撮影だかなんだか知らんが迷惑なやっちゃね」
二人の背後から出てきた恰幅のいい男が面倒そうにぼやき、男の肩に手を置く。
「おい、やめな。迷惑ばっかかけやがって」
「なんだぁ? こっちは仕事なの。何万人もの視聴者が動画待ってんの。おっさん一人で万の人間に迷惑かけていいんですかー?」
「知らねえし興味もねえ。そこに糞がありゃあ、みんなくせえくせえ言いながらぶんぶんたかってくるもんだ。お前さんもくっせえことをして得意げになってるけどな、水で流しちまったら翌朝には忘れられてんだよ」
「んだと……?」
そのまま恰幅のいい男は動画を回す男を掴み、どこかへ引っ張っていってしまった。連れ去られる最中も「いま緊急で動画を回しています! 野蛮な男に目を付けられてしまいました!」と叫ぶ声が車両中に響き渡っていた。
そこでふと気がつく。
先ほどの恰幅のいい男は、昨晩バーで飲んだくれていたオーウェンだ。素面との様子が違いすぎて、今のいままで気がつかなかった。
ややあって、すっかり静かになった頃にか細い声で客室乗務員の一人が謝罪してきた。
「ご面倒おかけして、申し訳ございません」
「いえ。それより、どなたか倒れてしまったと伺いましたが、何か薬が必要なのですか?」
「薬というか……」
客室乗務員はわっと泣き始めてしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
「すみません、すみません……こんなこと初めてで、どうしたらいいかわからず……」
張り詰めていた糸が切れてしまったのだろう、人目も憚らずに涙を流す彼に、クリスも背を撫でながらハンカチを差し出して寄り添う。
「お客様にご面倒おかけして申し訳ない……」
「いえ、いいですから」
ヴィダはそんな二人を少し離れたところから見ていたが、その背後から凜と通る声が響く。
「そこのあなた、少しいいかしら?」
マダム・グレイスであった。近くに二人、仕立てのいいスーツを着た男性が控えている。
「その部屋には私の知り合いがいるの。具合が悪いと聞いたので伺ったのだけど、入れてもらえる?」
そう伝え、列車のチケットを見せる。泣いていた客室乗務員は哀れなほど引き攣った声を上げ、背をピンと伸ばし深く礼をする。
「もちろんです! 申し訳ございません!」
「いいのよ、そんなに緊張なさらないで。さて、」
マダム・グレイスはクリスとヴィダに視線を配る。
「また会いましたね。あなた達、探偵さんでしょう? たまたま現場に居合わせるだなんて、幸運ですこと。この婆に改めて付き合ってくださらない?」
「僕は探偵ではないんですが」
「あら、そうなの? でもねえ、この列車には他に適任がいませんから」
彼女は優雅に微笑み、解錠されている客室の扉を横に引く。と、そのすぐ傍に男が一人、倒れていた。
「まあ……」
グレイス夫人は驚いたような声を上げながら男を跨ぎ、中へと足を踏み入れる。クリスは客室へ入るべきか悩んだ様子だったが、側近の男に促されて室内へ入った。ヴィダも彼の後に続く。グレイスの側近である二人も中に入り、ドアをしっかりと閉めた。
「予想はしていましたけれど、これは……お医者様がいても、助かりませんね?」
二人居る男の一人が倒れている男に近付き、体を検めると老婆へ頷く。
「そう……。襲われたような形跡はなし。室内も綺麗なもの。胸を押さえ、外へ助けを求めようとして力尽きた、といったところかしら」
既に死後硬直を起こした男の指は、何かを引っ掻いたように不自然に曲がっていた。おそらく、苦しさから外へ出ようとするも寸でのところで力尽きてしまったのだろう。
「探偵さん、とお呼びしますけれど、あなたはどう見ます?」
ヴィダはグレイスの声に、ぴくりと顔を上げる。
この人は愉しんでいる。
人が一人亡くなっているのに。それも、彼女の顔見知りの人間が亡くなっているというのに、まるで動揺した様子がない。
そこで昨夜の会話を思い起こす。
『今夜、ボルドー家の犬を一人。それだけだ』
『心筋梗塞に見せかける。派手にはやんないさ』
ボルドー家は名家だが、そこまで大きな家ではない。後継者争いで家出した弟がマフィアの頭と手を組んで戻ってからは何かと顰蹙を買っていると聞いているが、あの家に関わる中にこんな存在感のある老婆が居たかと言われると、ヴィダの記憶にはない。
「探偵じゃないんですけどね。医者でもないですし、警察でもないです。それこそ、ミステリー小説の定番しかお答えできませんよ?」
「私もミステリーは大好きよ。私は……そうねえ、なにか恨まれていて、毒を盛られたとか」
「はは、そうですね。これだけ大勢の人が乗っていますから、殺したあと何食わぬ顔で乗客に紛れられたらわかりませんよね」
ヴィダはクリスがなにか余計なことを言い出さないか気が気ではなく、口元を押さえて部屋の隅に行く。
「あらあら。ごめんなさい、あなたも入っていたのよね。気分のいいものじゃないわね」
「僕たちは一度失礼します。彼を休ませたいので」
「ええ、構いませんよ。私も気配りが足りなかったわ。ゆっくり休ませてあげて」
足早に部屋を出るヴィダを追い、クリスは彼の後をついていく。そのまま自分たちの客室へ入り、扉をしっかりと施錠するとようやくヴィダが口を開いた。
「はー……。面倒に絡まれたね」
「そうだねえ」
クリスはそれきり何も言わず、物憂げに視線を伏せる。
電車は止まらず、社内アナウンスもなく。
慌ただしい様子だった廊下も程なくして静かになり、やがて何事もなかったかのような様子で進んでいく。
「あのさ」
ヴィダからかけられた声に、クリスが視線を上げる。
「さっきの件だけど、あんたは細かい調査とかしないで。首つっこまないで」
「そのことなんだけどさ……」
クリスは言葉を選んでいるのか、視線を何度か左右に彷徨わせ、それから唇を開く。
「ヴィーくんはあれについて、何か知ってる?」
「うん。知ってる。だから言ってる」
ヴィダの返答に、クリスは短く「そっか」と頷く。
「わかった。そうする」
それきりクリスは唇を閉じて、窓の外へ視線を向けた。
めまぐるしい午前はあっという間に終わり、昼を迎えようとしていた。

